事件の翌日。さすがに咲良も夕奈も気まずく、練習に身が入らなかった。美央にいたっては、すっかり覇気を失い、いつもの威厳も傲慢さもなくなっており、合奏ではケアレスミスを連発していた。
 事件のことはすでに知れ渡っており、気まずい雰囲気が部内全体に伝播した。
 しかし、そこで状況を急変させたのが、部長の大河内紬であった。
 合奏中にいきなり立ち上がった紬は、部員全員の前で美央を譜面でバシンと殴りつけたうえで、咲良と夕奈も呼びつけ、「被害者ぶって甘えんな!」「お前らが馬鹿な男にそそのかされて勝手について行って連れ込まれただけでしょうが」「危機管理できなさすぎ」「自分らが馬鹿なだけってわかってないの?」「心の傷? ふざけんな」「ただの自業自得」「馬鹿丸出し」「私情を部活に持ってくんな!」「時期わかってんのか」「目障りなんだよ!」「切り替えられないなら帰れ!」罵詈雑言の嵐を浴びせかけたのだ。
 紬の豹変は、咲良だけでなく部員全員を驚かせた。
 紬は部員全員を見渡し「このクソみたいな雰囲気、……ないわ。他にも、やる気ない子いたら、帰っていいよ? ……帰れるもんなら」異常に柔和な笑顔に、部員一同恐怖に委縮した。
 その日以来、部内ではすっかり、副部長の美央と部長の紬のイメージが変わってしまった。
 美央は、口調はきついが後輩思いで情に厚い、愛らしい先輩。
 紬は、優しそうな雰囲気が見せかけで、実は部員を駒としてしか見ていない冷徹な鬼先輩。
 部内における鬼と菩薩の役割が完全に逆転。しかも、紬は美央と違い、部員の失敗に容赦がない。ネチネチ罵倒することもあれば突如鉄拳制裁を加えることもあった。毎日どこかで誰かの譜面がはじける日々。鬼に転じた紬は、見事な恐怖政治をやってのけた。

 そうして日が流れ、いよいよコンクール前日となった。

 最後の合奏を終えて、部員たち帰宅する。すでに日は暮れた。
 紬は一人残って、各教室の施錠を確認してから帰る。
 校門を出たところに、5人の男がたむろしていた。よれよれのシャツやジャージといったみすぼらしい姿。無精ひげに手入れされていない髪の毛。20代にも見えるが、30を過ぎているようにも見える。年齢不詳。わざわざH高校の校門前にしゃがみこんで、大声でしゃべりながら煙草を吹かしている。
 紬は足を速め、目を合わせないようその場をさっさと通過しようとした。
「よお、君がブラスバンドの部長さんだろ?」「こんばんはー」
 男たちが声をかけてくる。
「……」
 紬は無視して通過する。
「おいおい、無視はねーんじゃねーの」
 男たちは笑いながら立ち上がると、紬の後をついてきた。
「ちょっとさあ、つきあってくんない?」「楽しいよ」「なあ」
 男はしつこく声をかける。
「……っ」
 こんな奴らとは関わりあわないのが一番だ。
 紬は小走りになった。
「なあって!」
 男のひとりが紬の腕をつかんだ。
「はなしてください」
 紬はキッと振り返って言った。腕をつかんだ男はずいぶんと太っていて、額まで汗びっしょり、メガネが曇っている。腕毛が濃い。
 紬が振り払おうと腕を引くが、男の力はずいぶんと強く、ほどけない。
「おお、こわいこわい」「ずいぶん反抗的じゃん」「なあ、ちょっとだけだからさあ~」
 男たちが口々に言う。
 なんだこいつら……。
 紬は男たちのしつこさに恐怖を感じた。
 拒絶の意思を示しているにもかかわらず、腕をほどかない。その時点でこいつらの有罪は確定だ。馬鹿なのか。
 紬は、腕をつかんだ男の股間を、右足で蹴り上げた。
「ひでヴゅっ!?」
 男は悲鳴を上げて手をはなす。
 紬は男の手がはなれたところで一気に駆け出した。
 ここから数百メートル先に交番がある。そこに逃げ込めば、こいつらは一網打尽だ。学校の真ん前で女子高生を誘拐しようなんて、馬鹿にもほどがある――……
 紬は突然のめまいを覚え、その場に崩れ落ちた。
「……え、あれ……?」
 地面に膝をついた。
 脚に鈍い痛みを感じる。スカートの裾から垣間見える太ももの裏に、小さな矢が刺さっているのが見えた。
 後ろを振り返ると、男の一人が尺八のような筒を持っている。
「吹き、矢……?」
 紬はぼんやりとしていく意識のなかで呟く。
 男たち5人が目の前に迫ってくる。
「まったく手間とらせやがって」「なあ、こいつで間違いねーんだろ?」「ああ、H高のブラバン部長ってこないだ新聞出てたし、この顔だよ」「お前そんな記憶力いいのになんで大学受かんねーんだよ」「うっせ、俺はお前らとレベルが違うとこ受けてんだよ」
 男の嘲笑を聞きながら、紬は意識を手放した。


(つづく)


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(ここから作者コメント)

 こんばんは。ertです。
 いよいよ部長に制裁! コンクールがんばれ!