ホワイトデー当日の朝。伊藤誠一は十字路でため息をついた。
 幼馴染の等々力叶とは毎朝一緒に登校している。
 しかし、待ち合わせ時間を過ぎても彼女はやってこなかった。
「……またこのパターンか」
 誠一は十字路を曲がり、彼女の家へ向かった。
 叶の両親は共働き。会社に泊りになることがしょっちゅうだった。
 叶は、親が家を空ける夜は、羽目を外して夜更かしする悪癖を持っていた。それで翌朝起きられないことが多いのだ。
 まったく世話が焼ける……。これだから金持ちの娘は。
 誠一は叶の豪邸の前まで来て、やっぱりか、と思う。
 彼女の両親の車がない。案の定、昨日夜更かしをして寝坊しているようだ。
 誠一は扉の前まできて、違和感に気付く。
「……ん?」
 家の中からうっすらと声が聞こえてくる。
 防音がしっかりした豪邸にもかからず扉の外まで聞こえてくるということは、かなりの大声で叫んでいることになる。
 家の中には叶ひとりのはず。……
 誠一は急いで扉の生体センサーに指をかざす。ピピッと音がしてロックが解除された。
 家の中に入ると、

「やはははははははははっ!!! やだっ、ひゃぴぃいいっひっひっひっひっひっひっひっひっひっひ~~!!!」

 奥から甲高い笑い声が聞こえた。
 まぎれもなく叶の声だ。
「か、叶!?」誠一は靴を脱ぎ散らかして声のする方へ走った。
 ダイニングに入って、誠一は唖然とする。
 パジャマ姿の叶がフローリングの上でじたばたと四肢をねじるようにして笑い転げている。
 彼女の体中に、どろりとしたスライムのような白い液体が付着している。それらがぐねぐねと動き回り彼女の体をくすぐっているのだ。

「ぷひゃっはっはっはっはっは!!? せせっ、せいちゃん!!? なんなのこれぇぇぇえあはっはっははっはっはっはっはっはっは~~!!!」

 叶は誠一に気付くと、両手を伸ばし、助けを求めるかのように宙を掻いた。
 体についた白い液体がぼてぼてとフローリングに飛び散る。
 彼女の顔面にも大量の白い液。なんの液なのか見当もつかない。
「こっちが聞きたいよ!」

「あひゃぁぁぁぁあひひひひひひっひひっ!!! せいちゃんがぁぁぁっはっはっは、送ってきたんじゃんかぁぁあっはっはっはっはっはっは~~!!!」

 叶は激しく体をねじってもがきながら叫んだ。
 いったいいつから笑い続けているのか、声が枯れている。
「は? ぼくが?」
 叶がもがき笑いながら指をさす。
 テーブルの上に、見覚えのある包装紙と箱。「あっ」と思わず声がでた。間違いなく、昨夜老婆から買ったホワイトデーのお返し商品だ。

「あひゃひゃっ、開けたらっ!!! 急に中身が襲ってきてぇぇぇえうひゃひゃひゃひゃっ!!!!!」

 叶の体にまとわりついた白い液体が彼女の体中をはい回る。
 パジャマの裾から入り込み、袖口から出たり入ったり。足裏にねっとりとへばりついたそれは指と指の間まで入り込んでいる。

 そのとき、誠一の頭に、老婆の言っていた言葉がよみがえる。
(チョコを倍にして返します)

 チョコを倍にして返す、……チョコ×2を返す、……コチョ×2……!

「……ば、馬鹿な……!」
 誠一はあまりにもばかばかしい趣向に絶句した。
 ……ということは、この白い液体は?
 床に落ちた白い液体を人差し指ですくい、匂いを嗅いでみる。

 甘い……。
 ホワイトチョコレートだ……。

「あひぁぁああばばばはははははっ!!! せいちゃんっ、助けてぇえぇええひぇぇえぇひぇっひぇっひぇっひぇっひぇ!!!」

 あきれている場合ではない。
 とにかく、叶を助けなければ。
 素材がチョコレートということは……。
 誠一はキッチンへ走り、ボウルに水を注いだ。
「叶、かけるぞ!」
 誠一は一言ことわりを入れてから、叶の全身に水をぶっかけた。
 彼女の体中にまとわりついていた白い液体が、どろどろと流れ落ちる。

「ひぃ……ひぃ……、死ぬかと、思ったょ」

 叶は荒い息を立てた。

 誠一は一息つく。が、すぐに思い至る。
 いや、待てよ。叶の家にコレが届いたということは、……。
 誠一は血の気が引くのを感じた。


(つづく)










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