「……狭いし、熱いし、……いったいどこまで続いてるっていうの!」

 ハスキーボイスがダクト内部に反響した。
 想像以上に響いてしまい、彼女は慌てて口を押さえた。
 美しい栗色の癖毛のロングヘア。黄色いライダージャケットを身を包んだ若い女性がダクトの中を腹ばいになって進んでいた。
 素足である。ダクト内で音が響かないようにわざわざブーツを脱いできたのに、声を出してしまっては意味が無い。
 小柄な女性がギリギリひとり進める狭さである。
 ついつい思ったことを口に出して言ってしまう癖は、兄譲りかもしれない。
 国際警察官、野原ひまわりは悪の組織のアジトに潜入している最中だった。

 先日、国際警察は悪の組織のアジトと思しき建物を見つけ出した。さっそくひまわりの所属するチームが捜査に派遣されたものの、建物に入ることができない。そこで外壁の通気口から侵入を試みたのだが、メンバーで通れるのは最も小柄なひまわりだけだったのだ。

「もう……重っ……!!」

 再び声が反響して、ひまわりは口をつぐんだ。
 高校を卒業してから伸ばしはじめた髪の毛が匍匐前進時には重くて邪魔だった。

「やっぱりこういう仕事だと短い方がいいのかな……」

 こんどは小声でぼやいたためにそれほど反響せずに済んだ。
 そういえば学生時代はもう少し動きやすかったなぁ、などと懐かしむ。
 でも、ロングも一度は経験してみなければそのメリットデメリットはわからない。ひまわりは生まれた頃から、興味を持ったらやってみなければ気が済まない性質だった。

「……ダメダメ! こんなこと考えてる場合じゃない! 早くどこかに出て、みんなにしらせなきゃ! ……あ」

 また声を上げてしまい、慌てて口をつぐむ。
 考え事をしていると、いつの間にか口に出てしまう。
 と、そのときだった。

 パチリ!

 音がしてダクト内部が突然明るくなった。

「えっ!? まさか、バレた!?」

 ひまわりは窮屈なダクト内で首を左右に回す。
 すると、ガガガとスピーカーから漏れるような音がダクトに響いた。

『ぺ~なるてぃ~! まさかこんな可愛いネズミちゃんが侵入してくるとは! 舐められたものね!』

 声の主は女性のようだ。
 どこかにカメラがあって、ひまわりの姿が見られているようだ。

「な、なんでバレたの!?」

『あんな大声なんども上げてたらバレないわけないじゃんばーか! それに、庭にいた国際警察の連中はみーんな捕らえたから、あとはあんただけ! せっかく侵入したのに残念だったねー』

「そんな……!」

 ひまわりは絶句した。と、そのときふと耳を澄ます。背後から機械音が近づいていることに気づく。

『せっかく若い女の子が侵入してくれたから、ちょっとした余興で楽しませてもらうわ! あんたはもう袋のネズミちゃん。追ってくる鬼さんから逃げられるかなぁ? せいぜい迷路の中で逃げ惑いもがき苦しんでがんばってね!』

 そこで、声はぶつっと途切れた。

「な、鬼って……な、なにがくるの?」

 ひまわりは途端に怖くなった。
 背後からの機械音が迫ってくる。

「に、逃げなきゃ!」

 ひまわりは匍匐前進を再開した。
 腕を前へ前へと突きだし、足でダクトの壁を蹴って突き進む。
 しかし、機械音は遠ざかるどころかますます近づいてくる。どんどんスピードが速くなっている。
 ひまわりは、得体の知れない恐怖に後ろを振り向き、目撃した。

「え、なに、……あれ?」

 ひまわりの背後から迫ってくるのは巨大な薄桃色のハンディモップだった。
 左右に並んで二対ある。
 それぞれマジックハンドが柄を持っていてぐるぐる円を描くように動かしながら近づいてくる。

「い……っ!?」

 ひまわりはとっさに過去の記憶を思い出し、青ざめた。
 そう。0歳の時、そのときもたしか、悪の組織のアジトでこんなダクトの中だった。
 迫るハンディモップの先には、ひまわりの足がある。
 しかも、今回はあのときと違って、素足……。

 戦慄した。

 ひまわりは前方を向き直ると、がむしゃらに両手を動かして前進した。

「……やっ!! こないでっ!! あんなのはもうこりごりっ!!」

 叫んでも機械音は止まらない。
 ひまわりの全身全霊の匍匐前進。
 しかしその努力も空しく、とうとうひまわりの足先にハンディモップの尖端が触れた。

「ひあぁっ!!?」

 ぴりりと背筋に走る刺激。
 その一瞬の失速で、ハンディモップはひまわりの両方の素足を覆い尽くしてしまった。

「きひっ!!? うひひひひひひひひひひっ!!?」

 ひまわりはモップで足の裏をなで回されるくすぐったさに、顔を真っ赤にして笑い出した。

「ひぃぃぃやめっ!!! あぁぁあっひっひっひっひっひっひ、だめぇぇえ!!!」

 狭いダクトの中では、足を引っ込めることも、左右へずらすこともできない。
 前に進もうにも、ハンディモップの細かい羽先が足の皺や指の股にまで入り込んでくるくすぐったさに、身体が思うように動かない。

「ひぃぃぃ~~っひっひっひっひっひっひ!!! やだぁぁああははははははははは!!! こないでぇぇえ~~ふぁっはっは!!!」

 ひまわりは両足をばたつかせてもがく。
 しかしモップに覆われているために、逆に自ら足を差し渡す結果になってしまう。

「ひぁっはっはっはっはっはっ!! おにぁぁあっはっはっはっはっは!! いやぁぁ、出してぇぇえっへっへっへっへっへっへ!!!」

 ひまわりは涙を流して大笑いしている。
 まるで赤子のように腹ばいになって、背後から足の裏をくすぐられる。

「いぁああっはっはっはっはっは!!! にぃにっ、いぃぃ~~ひひひひひひひひたふへぇぇへっへっへっへ!!!」

 赤子の頃はいろんな目に遭った。
 魔神の封印された玉を飲み込んで謎の組織に追われたり、愛犬と一緒にジャングルをさまよったり、勝手に姫にされて宇宙に連れ出されたり、映画の中に取り込まれたり……。 

 大人になってまで、こんなお馬鹿な目に遭うなんて!

「にゃはははははははははっ!! ひぃぃ~~っひっひっひっひっひっひ助けてっ、にぃ~にぃっひっひっひひっひっひっひ、あぁああああああああ!!?」

 ひまわりは自然と兄に助けを求めていた。
 こどもの頃からなんども喧嘩したかけがえのない存在。兄はいま、いったいどこでなにをやっているのか。

 ハンディモップは無慈悲にひまわりの素足をくすぐり続けている。


(完)