少年は、今朝母親に叱られたことを根に持っていた。

「お味噌汁こぼしたぐらいで、あんなに怒ることないじゃん……」

 学校の帰り道は憂鬱だった。
 母親の今朝の様子から、機嫌が直っているとは思えない。
 いつもがみがみとうるさい母親。ほんとイヤになる。
 なにか、仕返ししてやりたい……。
 10歳に満たない彼の頭の中は、母親への復讐心で満ちていた。

「少年よ。なにを悩んでおる」

「え?」

 うつむいて歩いていたからか、通りすがりの老人に声をかけられた。
 その老人はハットを目深に被り、裾が足首あたりまで伸びた長い真っ黒なコートに身を包んでいた。

「その顔、今朝親と喧嘩したのかな?」

 老人の問いに、少年は息を呑んだ。

「なんで……わかったんですか?」

「ほほほ。顔を見ればだいたいの察しはつく。おじさんはこどもの気持ちがよくわかるからね」

 老人は左手で立派に伸びたあごひげをさすりながら、

「どれ。少年よ。キミに良いものをあげよう」

 ポケットからサクランボのような実を取り出した。

「なんですか?」

「この実を食べると、キミは魔法使いになれる」

「え?」

「念じればなんでもできる。ただし魔法が使えるのは食べてから一時間のみ。どのようにつかうかは、キミ次第だ。少年よ」

~~~

「ただいま……」

 帰宅した少年は玄関で靴を脱ぎ、手洗い場に向かう。

「たかし! 帰ったら手を洗いなさい!」

 台所の方から母親の声が聞こえてきた。イライラした口調だ。
 なんで行こうとしているのに、わざわざやる気をなくさせるようなことを言うのか……。

 少年は手洗いを済ませると、鏡の前で、老人にもらった木の実を取り出した。

 本当に魔法なんて使えるのか……。

「たかし! いつまで手を洗ってるの!? 済んだらさっさと宿題しなさい!」

 また台所の方から母親の金切り声が聞こえる。
 すぐ怒る母親に、本当に嫌気が差す。
 少年は、木の実を口に含んだ。

 台所では、母親が夕飯の準備をしていた。
 Tシャツにジーンズというラフな部屋着にエプロンを着けている。
 家庭訪問ではクラスメイトから「お母さん若いね」などと言われるが、少年にはよくわからない。
 髪の毛は家事の邪魔になるからか、いつもめんどくさそうに後頭部で一つに束ねてある。

「かーちゃん。今日の晩ご飯はなに?」

 少年は母親の横顔に話しかけた。

「なに!? いま作ってるから!! 早く宿題済ませなさい!」

 晩ご飯の献立を聞いただけでなんでこんなに怒られるのか。
 しかも質問には答えてくれない……。

 母親に仕返ししたい……。

 少年は半信半疑ながら想像力を働かせ、魔法をイメージしてみた。

 すると、

「――え? きゃっ!? なにっ!?」

 イメージ通りだった。
 突如床から生え出た四本の手が、母親の四肢を掴み上げたのだ。

「かーちゃん……」

 少年は目の前の光景が信じられなかった。
 空中で体を大の字におっぴろげた母親。
 少年は母親の目の前までいって、まじまじとその様子を見つめた。

「たかし!! あんたがやったの!!? なに考えてるの!! やめなさい!」

 この期に及んでもの凄い剣幕で怒鳴る母親……。
 しかし、少年の魔法によって出現した腕の拘束はびくともしない。
 いつも威圧されていた母親が、いまや、少年の手の中……。

 少年は、心が躍るような感覚に陥った。

「かーちゃん……たまには怒らず、笑えば?」

 少年はわずかに口角を上げると、両手を母親の体へ伸ばした。

「ちょっ!!? なに!? たかし!? なにするつも――……きゃっ!!?」

 少年の指が彼女の脇腹へ触れたとたん、彼女の体がびくんと揺れる。
 少年はそのまま10本の指をこちょこちょと動かした。

「たかし……っ!! やめなさいっ!! ……こん、な!! なに考えてるの!!!」

 母親は般若のような形相で少年をにらみつけ、怒鳴った。
 少年は不服だった。
 学校で友人をいたずらでくすぐったときは、もっとゲラゲラ笑い転げてくれたのに……。

 やはり、おとなとこどもでは感覚が違うのだろうか。

 そこでピンとくる。
 魔法だ。
 母親の体を、魔法でくすぐったがりに変えてしまえばいいのだ。

 少年はさっそく念じてみた。

 すると、

「……――ぶっ!!? きゃぁああああああ!!! あはっはっはっはっはっは!!? なにっ!!? なにこれぇぇぇぇ~~ははははははは!!!」

 同じようにくすぐっているだけなのに、母親は大口を開けて笑い出した。
 首を左右に振って、びくびくと四肢を震わせて笑う母親。

 少年の小さな指が、母親のくびれた脇腹の上をわちゃわちゃと這う。

「くあぁぁはっははははっはっはっは!!! やめなさいっ!!! たかしぃぃひひいいひひふあぁぁああああ!!!?」

 眉をへの字に曲げ、だらしなく口をおっぴろげて笑う母親。
 少年にとっては、初めて見る母親の表情だった。

 だんだん楽しくなってきた。

 少年が彼女の腋の下へ両手を差し込むと、彼女は悲鳴のような笑い声を上げた。

「きゃああああああははははははははははは!!? そこはだめぇぇえああはははっはははあはっはあは!!!」

 自分の指先ひとつで笑い悶える母親。
 少年は興奮した。

 念じるだけで魔法が使える。
 母親を拘束した腕は自在に操れた。

 母親の両腕を万歳に伸ばしたり、両足をM字のように広げてみたり。

「たかしぃいいひひひひっひひっひひ!!! やめなさいぃいいいひひひひっひひひ!!! こらぁぁぁあはっはははははは!!!」

 母親は口角を上げながら怒鳴りまくる。
 少年は彼女の足からソックスを脱がし取り、素足の足の裏をくすぐった。

「くあぁあははははははははは!!! やめっ!! あぁぁ~~っはっはっはっははっはっはあ!!!」

 魔法でくすぐったがり屋に体を改造したおかげか、彼女のリアクションは大きかった。
 彼女は大笑いしながら、髪の毛を振り乱し、涙を流していた。

 足の裏をくすぐると、びくびくと足の指が動いておもしろい。

 少年はくすぐりながら、敏感に反応する彼女の体の変化を楽しんでいた。

「かーちゃん? もう怒らない?」

「はぁぁぁあぁあはっっはっはっはっは!!? たかしぃぃい!!? なにいってるのぉぉおおあはははははははははは!!!」

「かーちゃんがいっつも怒ってるから悪いんだよ」

「ぎゃははははははははははは!!? そんなのっはははははあはははは!!! あんたっ!! やめなさいぃいひひひひひひひひひひ~~!!!」

 足の裏、脇腹、腋の下と縦横無尽に指を這わせる。
 少年はときおり彼女の感度を魔法で強めながら、くすぐり続けた。

「あはははあはははははっ!!! 分かったあぁぁあっはははははははは!!! なるべくぅうぅうひひひひひひひひ!!! なるべく怒らないようにするからっぁあはっはっはっはっはっは!!!」

 一時間近くのくすぐりに耐えかねたのか、とうとう彼女は折れた。
 涙を流して笑いながら懇願する彼女の姿に、少年は達成感を覚える。

「ホント?」

「ほんとだからぁぁはははっははっはっはははっは!!! いますぐやめてぇぇえへへははははははははははははは~~!!!」

 彼女の顔はぐしゃぐしゃだった。
 少年の加虐心がうずく。

「やめてください、でしょ?」

「くぅうああぁあはっははっははっははっは!!? なにいってるのおぉあははははははあははははは~~!! たかしいぃぃいい!! 調子にのるなぁぁぁっははっはっははっはっは!!!」

「なら、かーちゃん。やめらんないけどなー」

 少年は調子に乗っていた。
 だから、すっかり老人のことばを忘れていたのだ。

「あひあっぁあはっははっはっははは……うぐぅぅひひひひひひいひっ、やめてっ、……やめてくだ――」

 彼女がことばを継ごうとしたそのときだった。
 突然、彼女を押さえていた腕が消失し、どすんと彼女の体が床に落ちた。

「えっ?」

 少年は驚く。

「……げほっ、あ、あ?」

 少年のくすぐりは、すっかり効かなくなっていた。

 そこでようやく、少年は魔法の効力が一時間だったことを思い出した。

 少年はさっと踵を返し、逃走しようとした。
 が、がしり、と足首を掴まれた。
 血の気が引く。
 おそるおそる振り返ると、母親の鬼の形相があった。

「……あんた、よくもやってくれたわねぇ」

 それから一時間、少年は大人の本気のくすぐりを身をもって知った。

~~~

 それからというもの少年と母親の間でくすぐり合いが頻繁に行われるようになり、スキンシップのおかげか、以前より親子の仲が良くなった。


(完)


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(ここから作者コメント)

 こんばんは。ertです。
 深夜にチャットルームで書いたものです。お題「親子モノ」