放課後、ホコリっぽい図書準備室にブレザー姿の女子生徒が二人。
 3mほど間隔をおいて並べられた二つの椅子に、それぞれ反対の足を組んで座った女子生徒は、互いに一切目を合わせようとせず、そっぽを向いていた。
「言っておきますが」
 先に口を開いたのは、山本美咲(やまもとみさき)だった。ボブカットのK組図書委員で、成績優秀、他者を寄せ付けないピリピリとしたオーラ、辛らつな発言と斜に構えたような物言いに定評がある。
 前髪の分け目を左手で軽く整えながら、言葉を繋ぐ。
「私は、陽菜(はるな)さんに頼まれたから、場所と時間を作っただけですので」
「どういう意味だよ」
 小林凛(こばやしりん)は、キッと美咲とはまったく逆方向の壁を睨みつけて、独り言のように言った。腰下まで伸ばした銀髪ツインテールを備えたL組学級委員長で、人情厚く、馴れ馴れしい態度、でかい声といい加減な発言に定評がある。
「そのままの意味ですよ。……どうするんですか? このまま完全下校時刻まで、背を向けていますか?」
「……っ」
「いいんですよ? 私はこの時間を、陽菜さんに差し上げたつもりなので。小林さんが、このままでいいと思っているのなら、私はただ黙って時間が過ぎるのを待つだけです」

 数日前の日曜日、凛が「くすぐり上達の方法」について斉藤(さいとう)陽菜に相談したところ、陽菜は熟練者である美咲の個人レッスンを薦めた。
 陽菜の半ば強引な計らいによって、凛と美咲は「個人レッスン」という建前で引き合わされたのだが、もともと折り合いの良くない二人である。両者とも変にプライドが高いためか、お互いがお互いの出方を窺ってしまい、気持ちの悪い空気の中、10分ばかり無言が続いていた。

 凛はゆっくりと身体をねじり、美咲の横顔を見た。
「……っ。……っ」
 話しかけてみようとするものの、喉につかえてなかなか第一声を発することができない。
「(……わかってんだよ。立場は、こっちが教えてもらう側。こっちからお願いしないと、状況は変わんないんだって!)」

「何を見ているんですか?」
 美咲が窓の方を眺めながら、呆れたような声を出した。
 凛は歯噛みした。
「(このぅっ!? ほらっ! こいつ、こうやってすぐ出鼻くじくようなこと言うからぁっ!! なんであと数秒待てんの!?)」

「……ねがぃします」
「はい?」
 凛がようやくしぼり出した言葉に、ゆっくりと首を回し、シャ○度を作る美咲。
「……図書委員さん、お願いシマス。私に、くすぐりを、教えテ、クだサイ」
 凛は片言で言い終えると、部屋の隅に向かって「○ャフ度うぜぇ」と小声で付け足した。
「……最後の一言は聞かなかったことにします」
「聞こえたっ!?」
「陰口の吐き方がオーソドックスすぎて、バレバレです」
「……くっ」
 凛が悔しそうにギリッと歯軋りをすると、美咲は呆れたように鼻で笑った。

 空気は少しばかり和んだ(?)ようだ。
 美咲は立ち上がると、凛の座った椅子の後ろまでやってきて、背もたれに両手を置いた。
「初めに言っておきますが――」
「陽菜に頼まれたからってんだろ? さっき聞いたよ」
「勝手に人の言葉を予想しないでください。私は、意味もなく、前言を繰り返すことはしません。次、私の言葉を無意味に遮ったら、罰を与えますので肝に銘じてください」
「罰って……すっげぇ上からくんのね」
「私は陽菜さんのように教えるのは上手くないので、レッスン中、頭ごなしの叱責、不快感を与える発言、乱暴な行為等、発生する可能性があることをあらかじめご了承ください」
「…………。はぁっ!!?」
 凛は勢いよく振り返り、美咲の顔を見上げた。
「不快感を与えるって、わかってて言うか!? ってか、乱暴な行為って……つまり、私が言われた通りできなかったら、折檻されるってこと!?」
「そうです」
 美咲はさらりと言った。
「あ、ご心配なく。痛いようにはしませんから」
「いやっ、それはわかってんだけど。く、くすぐる?」
「無論です。……陽菜さんのお話では、小林さんはくすぐり耐性の強化もご所望とのことなので、一石二鳥かと思われます」
「一石二鳥……ん? 私にとっては、プラマイ0な気がすんだけど」
 凛の言葉に、美咲はハァとため息をついた。
「小林さん。あなたはくすぐりの上達のために、ここへ来たはずです。私にくすぐられる不快感をマイナスと表現したのでしょうが、せっかく、くすぐりを自身の身体で実感し、研究する機会を、最大限活用しないでどうするんですか? ただ辛い、悔しいという感情で、くすぐられることを拒絶していては、いつまでたっても上達しませんよ」
 美咲の言葉に、凛は顔を顰めた。
「……別に、そういう意味で言ったんじゃ」
「なら、どういう意味で言ったんですか?」
「…………」
「答えてください」
「……ぐぅ」
「ぐうの音はいりません。答えてください」
「……はいはい、その通り! 図書委員様のおっしゃる通り。私は、お前にくすぐられる不快感をマイナスと表現してましたー、ごめんなさいーっだ」
 凛は、美咲に向かってべっと舌を出した。
 美咲はその様子を眺め、フンと鼻息を立てた。

「……先ほどから、レッスンを受ける側の態度として不適切な言動が目立つので、先にお灸を据えておきます」
「……は?」

●●●

 美咲は、椅子に座った凛の後ろから両腋の下へ、素早く滑らかに両手を差し込んだ。
「……っ!!? ひぅっ!?」
 凛は、キュッと腋を閉じ、肩に力を入れた。
「ちょっ!? ひぅぉほっ、と、図書委員っ!! ちょ、ちょぃまっ……」

「はい。このように人間の身体は、腋窩部に予期せぬ刺激を感知すると、とっさに腋をしめようとします。急所を守ろうとするごくごく自然な反応です」
「くぉぉっ、ふふぉっ!!? きぅぅ、急所!?」
 凛は首を回しながら、うめき声を上げた。

「そうです。……ずいぶんと敏感ですね。まだ上着越しですよ? 続けます。一般的に、『くすぐったい』という感覚は、身体の急所を守るための防衛反応と言われています。よって、人間の動静脈、神経の集中する部位を把握することは、くすぐり上達の第一歩になります」
「ひっ!? くぅぅぅっ、いひ、ひひっ、防衛って、ちょぉぉぉっ!?」
「では、実際に指を動かしてみましょう」

「ちょひぃぃ、こんのっ! 解説口調うざっ……っ!!? ひっ!!? やははっははははっはははっ!!! いゃぁぁはははっはははっはははははははっ!!!」
 美咲が凛の腋の下で指を動かし始めると、凛は椅子の上で仰け反るように笑い出した。
「小林さん。あなたは、その解説を聞きに来たのではないのですか? これもレッスンの一環です。うざったがられる筋合いはまったくありません」

 美咲は凛の腋の下で、凛の第5肋骨を選り分けごりごりとくすぐる。
「うぉほほほほほほほっ!!? ふぎゃぁぁぁっはっははっはっはっ!!! スミマセンっ、ごめんなさいっ!! しひひひひひひっ、真摯にっ!! 真摯な態度に改めるからぁぁはっはっはっはっはっはっ!!!」

「現在小林さんの腋に、親指を除く左右四本ずつの指が挟まれていますが、全ての指を同時にバラバラに動かす方法と、人差し指だけ、中指だけ、のように指を一本だけ使って、局部的に刺激を与える方法があります」
「ちょぉぉうふぉふぉふぉふぉっ!!? わかったぁぁっ!! わかったからやめろぉぉぉぉひひひひひひひひ~~っ!!」
「身体で覚えてください。現在私は中指しか使っていませんが、きちんとポイントを押さえれば、このように効果的な刺激を与えることができます」

 凛は地団太を踏んで暴れた。
「がはははっははははっ!!! ふぉぉぉぉぐぎぃぃひひひひひっ、骨っ!! 骨やめぇぇっぇぎひひひひひひひひっ!!」

 美咲は左手で凛の左腋をくすぐりながら、右手の動きに変化を加えた。
「ぎっ!!? ひぅぅぅっ!!?」
「現在、私の右手人差し指がどこに触れているのか、わかりますか?」

「ぎゃっはっはっははっはっはは、ちょぃぃっ!!? 左っ!! 左手止めてぇぇぇっへっへっへっへっ!!」
 凛の左腋の下では、美咲の人差し指と中指が、交互に引っかくように動き続けていた。

「質問に答えてください。もっと強くしますよ? 右腋に意識を集中させてください。これは集中力の問題です」
「わひゃぁぁっはっはっは、右っ!!? ……っ!! ちょあぁっははっはっは、今っ!! 今っ、左強くしたぁぁはっはっはははっ!!!」
「早く答えてください」
「くぎぎぎぎっ!!? こんのっ!!! ひゃひゃはっはは、右腕の裏側ぁぁあっ!!?」

「正解です。腋の下のちょうどこの部分に、腋窩動脈があります。腋窩動脈は体内でかなり太い血管ですので、損傷するとかなり危険です」
 美咲は右手人差し指を、くりくりと押し込むように動かした。
「うがぁぁぁぁあぁ、ちょいぃぃぃぃぃっ!!! 痛いっ!! 痛いッてぇぇぇっぃひひひひひひひひひひひ」
「急所。つまり、『くすぐったい』という感覚の生じやすい場所です」

 美咲はぎゅっと力を込め、凛の腋の下のくぼみに人差し指を埋めていく。
「ぐはあぁぁぁぁっ!!? ぶふぁぁぁぁっ、壊れるっ!!!? 腕がぁぁぁもげるぅぅひひひひっ!!! ぎひっ!!? うにゃぁぁぁぁっ!!?」

「くすぐったいのか、痛いのか、わからない感覚でしょう。この動きに変化を加えると――」
「ぐぶ……っ!!? だひゃ、だっひゃっひゃっひゃっっひゃっ!!! あひゃひゃひゃひゃっ!!? やめぇぇっぇっ!!! いひひひひ、がっぁはっはひゃっひゃ、きゃぁぁはははははっひゃっひゃ~~っ!!! あぁぁぁぎゃぁぁぁ!!!?」

 凛が激しく暴れたことで、ガタンと椅子が倒れ、凛は床の上に突っ伏した。
「……っ!! ひぎぃ」
 凛は這って部屋の隅まで逃げ込むと、涙目で美咲を睨んだ。
「まぁ、前座はこれぐらいにしておきます。先ほど言った『罰』及び『乱暴な行為』がどういうものか、おわかりいただけましたでしょうか?」
「……わ、わ、わかったから。……これ長時間やられたら、ホント死ぬって」

◆◆◆

「それでは、内容が一部前後しましたが、これより、くすぐり術の個人レッスンを開始します」
 美咲は宣言すると、自身の上着を脱ぎ始めた。
「……何だよ、くすぐり術って」
「小林さん。いつまで部屋の隅で転がっているつもりですか? 時間が勿体無いです。こちらへどうぞ」
 美咲はネクタイを取ると、ワイシャツの袖を折って腕まくりをした。
「……あれ? 図書委員、なんか、張り切り始め、た?」
 凛は顔を引きつらせてツッコミながら、ゆっくりと立ち上がった。

 仁王立ちをして待っていた美咲は、凛の準備が整うと同時に口を開いた。
「さて、小林さん。私をくすぐってください」
「え」
 美咲のいきなりの言葉に、凛は目を白黒させた。
「まずは、小林さんのリャクリョクを把握します」
「は? りゃく、……なんて?」
「擽力。くすぐり行為の技能的な総合力のことです。今回くすぐり術を体系的に教えるにあたって、必要性を感じたので、名前をつけました」
「ぶっ!? え? お前が!?」
 凛は思わず吹き出してしまい、美咲の顔に唾が散った。美咲は汚らしそうに顔をしかめ、右手で拭き取った。
「あ、悪い……あまりにも気合の入れ方が予想以上で、さ。……てかっ、図書委員っ! 実はこの企画ノリノリだったんじゃん! 最初全然乗り気じゃないような態度とってた癖に! あれはなんだったんだよっ!」
「いつ私が『乗り気じゃない』と言いましたか?」

 美咲はチラリと目を伏した。
「……小林さんが、……なかなか切り出してくれないからですよ」
「なんだよっ、結局私のせいかよっ!? ……って、ん? 今一瞬、デレ――」
「時間は30秒間差し上げます。その間に私を笑わせてください。委員長のように、焦らして徐々に感度を高める必要はありません。いきなり身を捩って笑わせるぐらいの意気込みでかかってきてください。では、どうぞ」
 美咲は早口に言うと、両手の平を正面に向け、無防備をアピールした。
「え、さっきのってデレ――」
「早くしてください」
 凛の言葉を遮るように、美咲は語気を強めた。
「……お、おぅ」

 凛は「なんだかなぁ」と首をかしげながら、美咲の正面から、腋の下へ両手を差し込んだ。
「…………」
「…………。ぶはっ」
「なんで、くすぐっている側の小林さんの方が吹き出すんですか? 真面目にやってください」
 急に凛が押し殺すように笑いはじめたので、美咲は眉をひそめた。
「いやっ、なんでそんな真顔で見つめてくんだよっ!?」
「観察しているだけです」
「か……っ、見つめてくんなよっ!! こういうシュールなの、笑いが……『私ら二人っきりで、向き合って何やってんの?』とか、思い始めちゃうからダメなんだって!!」
 美咲は深々とため息をついた。
「……わかりました。私は後ろを向きます。真面目に、笑わずに、私を笑わせることに集中してください」
「なんか、言ってることおかしいって」
「小林さん。まったく先に進まないのでテキパキやってください」

 再度仕切りなおして、凛は美咲の背後から腋の下へ両手を差し込んだ。
 凛の指が、ワイシャツ越しに美咲の腋に触れると同時に、少しだけ美咲の身体が震えるが、それ以上の反応は無かった。
「……っ、……っ。」
「図書委員。くすぐったくないの?」
 凛は指を小刻みに動かせながら、美咲に問う。
「……別に、くすぐったくないわけではないですが、余裕で我慢できる範囲です。まさか、これが本気ですか?」
「いや、その……」
「あの、ちゃんとやっていただけませんか? 焦らす必要はないので、早く、全力で、かかってきてください」
 凛はムッと顔をしかめると、指の力を強めた。
「……っ! そうです。初めから、ちゃんと、やってください」
 美咲は、少しぴくっと肩を上下させただけで余裕そうに言った。
「なかなか、お上手ではないですか。……それが全力なら、もうやめていただいても大丈夫ですよ。小林さんの擽力は、粗方把握しましたので。もし変化を加えるなら、残り20秒以内にどうぞ」
「うわっ!!? なんだその上から目線っ!!? カチンとくるなぁっ、もうっ!!」
「どうぞカチンときて下さい。悔しかったら、どうぞ、遠慮なく」
「こんのっ!!? 覚悟しろよ」

 挑発に乗った凛は1分近く美咲をくすぐってみたものの、結局美咲を笑わせることはできなかった。


「小林さんの擽力をわかりやすく数値で示しますと、3~4といったところでしょうか」
 言いながら美咲は、部屋の隅に置かれたホワイトボードの前に立った。
「はぁ? 数値とか……」
「具体的に言いますと、『親密な関係にある者を存分に笑わせることのできる程度』の擽力になります」
「うん? そう言われても、よくわからんのだけど……」
 凛は首をかしげながら、ホワイトボードの正面に置かれた椅子に座った。
「『くすぐりに弱いと自己認識している者を存分に笑わせることのできる程度』の擽力と表現した方が、わかりやすいでしょうか?」
「余計にわからん! わざわざ難しい表現すんなって!」
「……別に難しく言っているわけではないですが。要するに、小林さんのくすぐり方では、対象の認識に頼るところが大き過ぎるため、初対面の人間や小林さんに敵意を抱いている人間を笑わせることは困難であるということです」
「つまり……? 私のくすぐり方は未熟ってこと?」
「何を基準に『未熟』とおっしゃっているのかわかりませんが。くすぐりという行為の目的をどこに定めるかによって、基準は変わってきます。じゃれあいを目的としたくすぐりにおいては、小林さんはかなり熟達していると評して問題ないかと思われます。私の基準では先ほど申し上げた擽力。数値で表すと3~4、としか言えません」

 凛はしばし考え込むように、額を掻いた。
「……お前はどうなんだよ?」
「はい?」
「お前の基準で、お前自信のその擽力っての、数値で言うと、どんぐらいなんだよ」
「12といったところでしょうか」
 美咲はサラリと言った。
「12ぃぃ!?」
「『笑うまいと身構える者を無理矢理に笑わせることのできる程度』の擽力です」
「十段階じゃねーのかよっ!? ってか、私の三倍かよっ!?」
「数値は段階的な目安なので、単純な加減法に基づいて『三倍』などと表現すると、誤解を招く虞があります」
「うん? ……あー、その数値の設定基準とか色々あんのね……」
 凛は考えすぎて煮詰まったのか、「あぁぁぁっ!!!」と頭を掻き毟った。
「もぅ難しい話はいいや! 聞くだけ混乱するわっ! もうそういう頭使うのは任せるっ! ……で、私はどうすりゃいいの?」
「とりあえず、今日のところは、基礎を大雑把に把握していただきます。当分は、小林さんの擽力を6に上げる練習に力を入れたいと思います」
「……っ!!? 今日のところって、これ明日以降も続けんの!?」
「はい? 個人レッスンを一日だけ受けても意味がないでしょう。一朝一夕で、くすぐり術は習得できませんよ? 私もまだまだ研究中ですので、お互い頑張りましょう」

「…………。(陽菜め。一体どんな焚きつけ方したんだよ……)」
 妙に生き生きとし始めた美咲の演説を聞きながら、凛は顔を引きつらせた。


 美咲は黒い水性ペンのキャップと外すと、ホワイトボードに文字を書き始めた。
「え、まさか、……まだ理屈っぽいことすんの?」
 美咲は書き終えると、椅子に座った凛を見据えた。
「いいですか、小林さん? 基礎知識は大切です。実践練習を行う前に、前提となる知識を習得してください。……では、黒板を見てください」
「……ホワイトボードじゃんよ」
 ブーたれながら凛はホワイトボードを見やる。

“ Physical ” “ Psychological ”

 乱雑に書きなぐられたブロック体の単語二つを見て、凛は「うへぇ……」と顔を歪めた。
「くすぐって、他者を哄笑させようとしたとき、フィジカルとサイコロジカル、大きく二つのアプローチを考えます」
 凛は額に汗を滲ませた。
「あの、カタカナ言われてもわかんないんですが……」
「……っ。物理と心理、二つの側面からの責めを考えます。……訳すと少し違和感があるので、くすぐり術の二大要素として、フィジカルとサイコロジカル、そのまま理解してください」
「はぁ……」
「ここで言うフィジカルとは、『単純な外部刺激によって、対象にくすぐったさを感じさせる』ためのアプローチです。一方、サイコロジカルとは、『対象にくすぐったさを感じさせることによって、外部刺激をより効果的に機能させる』ためのアプローチです」

 凛は「うぐぅ……」と唸った。
 美咲は、水性ペンを巧みに操り、ホワイトボード上の二単語をそれぞれぐるぐると丸で囲みながら、言葉を繋ぐ。
「これら二つ、対象を哄笑させるという到達点は同じでも、『客観的なくすぐったさ』と『主観的なくすぐったさ』にそれぞれ重きを置いている点で、大きく異なります。前者が『外部刺激』によって『くすぐったい』と感じるのに対し、後者は『くすぐったい』という予感によって『外部刺激』が『くすぐったい』と感じられるのです。あらかじめ、対象の認識の中に『くすぐったい』が、在るか無いか違い。言い換えるならば、身体をくすぐるか、精神をくすぐるかの違いです」

“ Physical ”    擽 → 体 → 笑

“ Psychological ”  擽 → 心 → 笑

「あのぅ……、そういう風に書かれても、よくわかんないんだけども……」
「では、小林さん。私が先ほど小林さんに行ったくすぐりは、どちらに属すると思いますか?」
 美咲は、水性ペンでピッと凛を指した。
「あー……、ノッてんのな……。その、フイ、フィ、フィジカル?」
 凛は、なんとなく怒られそうな予感がして、初めの子音は唇を噛んで発音した。
「正解は両方です」
「っ!!? そういうの反則じゃねっ!!?」

「先ほどフィジカルとサイコロジカルは、まるで拮抗するかのような表現をしましたが、実際は、両者は互いに関係し合い、共存します」
「もーっ……何言ってるかわっかんねぇ~~っ!!!」
「今後のレッスンでは、フィジカルで、的確にくすぐったいポイントをつく練習を行い、サイコロジカルで、くすぐったさをいかに認識させるかの練習を行います」
「は!? え? フィジカルとかサイコロジカルって科目名かなんかなの?!」
「そう捉えていただいても結構です」
 凛は顔をしかめ、再度「ぐぅ……」と唸った。

「わかりました。物凄く簡略化して言いましょう。フィジカルは『責め』の理論、サイコロジカルは『受け』の理論、と言えば、理解できますでしょうか?」
 凛は、ぽかんと口を開けた。
「……なんで最初っから、そう言ってくれんの?」
「誤解を招く可能性があります。サイコロジカルは『受け』と表現しましたが、これはあくまで責める側から、効率的に『くすぐったさを感じさせる』ことを目的としており――」
「あぁぁぁっ!! わかったわかったもうっ!! ダメだって、パンクするっ! 頭パンクするからっ! ……じゃ、なに? サイコとかフィジカルとかやっても、自分がくすぐり強くなるわけじゃぁないってこと?」

 美咲はじとっと流し目で凛を睨んだ。
「……遮りましたね。結論を言いましょう。効果的に責めることができるようになると、効果的に受け流すことができるようになります。つまり、『どのようにすれば、相手がくすぐったさを感じるか』を学ぶことは、『どのようにすれば、相手がくすぐったさを感じないか』を学ぶことであり、それはそのまま、自身の身体に応用できるのです」
 凛は目を泳がせ、
「……今、物凄く納得させられた自分が悔しいんだけど」

「それでは」
 美咲は水性ペンにキャップをすると、パンパンと手をはたいた。
「……チョークの粉とか、ついてないじゃんよ」
「これでイントロダクションは終りですので、先ほど私の言葉を遮った罰をかねて、最初のレッスンに移りたいと思います」
「……っ? ……はぃ?」
 凛は、美咲の発した『罰』という言葉に反応し、目をしばたたいた。

●●●

 美咲は、床に低反発マットを敷きながら、
「こちらへ横になってください」
「え!? こんなの、準備してたのかよっ!」
「あ、靴は脱いでください。文化祭用に購入した新品なので、汚さないようにしてください」
「あ、はぁい……」
 凛は靴を脱ぎ、白いハイソックスに包まれた足をマットの上へ置いた。
「仰向けに」
 美咲が促すと、凛はごろんと寝そべった。
「……ってぇぇっ!!? ふっつーに自分から寝転んだけどっ、罰ってなんだよっ!! 罰ってぇぇっ!!?」
「ずいぶん遅いツッコミですね。言ったはずです。次、私の言葉を遮ったら罰を与えると」
「無意味にっ!! 無意味に遮ったらだろっ!? さっきのは正当な理由が――、……もしもし? 図書委員さん?」
 美咲は、身体を起こしかけた凛の腰辺りに跨り、凛の上着のボタンを下から外し始めた。

「最初のレッスンでは、サイコロジカルの基礎を固めていきましょう」
「あ、もうスルー安定なんスね……」
 美咲は凛の上着をガバッと観音開きにした。
「わわっ!? ちょ、そんな乱暴に――」
 美咲は文句を言う凛の脇腹に両手を置いた。
「うふぉっ!!?」
 ワイシャツ越しに、ゆっくりと指先を優しく動かし始める。
「ひっ!? ひぅっ、ひひひっ!! あひゃっ、ちょ、きゃはははは、ダメ、その辺り、ヤバイって!!!」

「小林さん、まだ指先で脇腹を撫でているだけです。笑うのは我慢してください」
「きひひひひひっ、そ、あひゃぁっ!!? そん、そんなこと言ったってぇぇぇっ!!! あはははっ、ちょ、いひひひひっ」
 凛はぎゅっと握りこぶしを作って、マットを叩きながら身を捩る。

「小林さんは、どうしてご自身が、笑うのを我慢できないのかわかりますか?」
「ひひひっ、ひひひひ!!? そ、そんなの、くすぐったいからに、いひゃぁぁっ、決まって、きゃはははははっ!!! あぁぁ、も、むひひひひひひっ!!!」
「では、どうしてくすぐったいんでしょう?」
「何ぃひひひひひっ!? そんなのっ、お前がっ!! ひゃははは、くすぐってくるからっ!! あははははっ」
 凛は目に涙を浮かべ、首をぶんぶんと左右に振って笑う。

「結論を言いましょう。今、小林さんがくすぐったいと感じているのは、小林さんの中に『くすぐりに弱い』という認識があるからです」
「きゃはっはははっはっ!!? どゅっ、どうゆーことっ!? ひひひひ」

「私は今、フィジカルを無視してくすぐっています。いわば、完全な他人任せのくすぐり。受け手の認識に任せたくすぐりです」
「説明っ!? きひひっひっ、だかっ!! 難しく言うなよぉぉぉっはっはっは」

「私は今、『くすぐりに強い』という認識を持つ人ならば、耐えられるくすぐり方をしています。つまり、今小林さんを笑わせているのは、私の指ではなく、小林さんの中にある『くすぐりに弱い』という認識です」
美咲は指先で凛の脇腹をいじりながら、淡々と言った。

「いやいやっ!!? はっはっはは、私っ!! 現にっ!! 現に弱いしっ!? ってかぁ、指、当たってるからぁぁぁっはっはっはっはっはっ!!」

「サイコロジカルの領域では、『くすぐりに弱い』という状況は、客観的には存在しないと考えます。『くすぐりに弱い』という状況や『くすぐりに強い』という状況は、主観的なもの。対象の中に『くすぐりに弱い』という状況を作り出すことが、いわば、サイコロジカルの到達点と言えるでしょう」

「またわかんないっ!! わかんないってっ!! ひひゃひゃひゃひゃっ! 最初からっ! 最初から、簡単に言ぇよぉぉっはっはっはっは!! 笑って、ひひひひ、考えらんねぇんだよぉぉっ!」

「……我慢するどころか、笑い方がどんどん激しくなっていますね。先ほどから動きは変えていませんよ。両手の親指と小指を除く計6本の指を交互に微動させながら、優しく左右から脇腹を挟み込むようにくすぐっているだけです」

「ひゃははっ、リアルに描写すんなぁぁっ!!! ひひひっ!! ひひひひっ!! ホントっ、ホントに弱いからぁぁっはっはっははっはっ!!」

「サイコロジカルでは、相手に『くすぐったい』『自分はくすぐりに弱い』と思い込ませれば勝ちなのですよ。ゆえに、私、責め側としましては、サイコロジカルの観点から、もう小林さんに施すことは何もないことになります」

「はぁぁぁっ!!? っはっはっはっはっは、だったらっ!! だったら早くとめっ――」

「そこで、逆行します」

「ひっひっひっひ~~。はいぃいぃぃっ??」

「相手に『くすぐったい』と認識させるための技術を、自分が『くすぐったい』と認識しないための技術に応用します」


 美咲はくすぐりを止め、凛のワイシャツのボタンを下から外していった。
「……わ、私は、どうすりゃいいの? このまま、……じっとしてればいい?」
「はい、結構です。……素直になりましたね」
 美咲は凛のみぞおち辺りまでボタンを外すと、ワイシャツの裾をペロンとめくりへそを露出させた。
 凛は美咲の顔をできるだけ見ないように、口を開く。

「めちゃくちゃだけどっ、押し付けだけどっ、カッコつけてて癪だけどっ、……なんか、理にかなってるし……、あんたが言うと、説得力あんだよ。私だって、あんたぐらい……くすぐり上手くなりたいし、強くなりたいから」

 凛は、両手は握り締めたまま、目を泳がせた。
「あんたのこと、一応、……信頼してんだから」

 美咲は、凛の言葉を聞き、フッと鼻息を立てた。
「……はじめから、そういう真摯な態度で臨んでいれば良いのですよ」
「ちょっ、お前っ! せっかくこっちが、恥ずかしいこといったんだからっ、少しは気ぃ使えよっ!」
「レッスンを再開します。小林さんは、そろそろ黙ってください」
 美咲は淡々と述べた。
「ちょっ、このっ……。もぅいいやっ! レッスン中! レッスン中だけだかんねっ!? 私は自分のために、お前に従ってやってるだけだかんねっ!? お前よりくすぐり上手くなったら、絶対お前っ、事あるごとに無理矢理笑わせてやるからっ! 覚悟しとけよっ!!?」
 凛は、仰向けに寝転んだまま怒鳴り、美咲をにらみつけた。

 美咲は、「そんなの最初から……」と挑発的な笑みを浮かべる。
「……望むところですよ」

●●●

 美咲は両手の人差し指を凛に前に見せ付けると、ゆっくりと凛の白いお腹へ近づける。
「ひっ……うくぅ」
 凛はぎゅっと目を閉じ、奥歯を噛んだ。
「きちんと見てください」
「……だ、見たら、余計くすぐったいじゃん」
 凛は薄く目を開けた。

 美咲は、凛の引きつった表情を確認すると、凛の素肌に触れるか触れないかの位置で指をわきわきと動かした。
「いひひひひひひひっ、ちょぉぉぉうふぅぅぅひひひひ、やめろぉっ」

「触っていませんよ?」
「わかってっ、ひひひひっ、わかってんだけどっ、むりっ! きひひひひ、我慢できないっうくくくひひひ」

「目を開けてください。もう止めました」
 再度目をぎゅっと閉じてしまった凛に、声をかける美咲。凛の目には涙が浮かんでいた。
「な、何がしたいんだよ……」

「このように、小林さんはすでに、私の指を見ただけで『くすぐったい』と認識するようになっています。私が先ほど散々くすぐったことによる条件反射、そして、小林さんの中にある『くすぐりに弱い』という自覚のためです」
 美咲はじっと凛の目を見据える。

「先ほどの説明。『くすぐったい』という感覚が防衛反応だという話を思い出してください。『くすぐったい』という感覚は、予期せぬ刺激から急所を守るための防衛反応です。ということは、予期できる刺激で、なおかつ、明らかに防衛の不要な刺激ならば、『くすぐったい』という感覚は生まれないことになります」

「……ん? でもさっき、私の腋くすぐられたとき、めっちゃくすぐったかった。位置まで説明させられて、刺激自体は予期できたはずだけど……」

「そこを説明し始めると、フィジカルの領域に入ってしまうので、今回は割愛します。私はこれから、小林さんから見える位置に、100%予期できるように、『明らかに防衛の不要な刺激』を与えます。小林さんは、笑わずに耐えてください」
「だから、見たら余計くすぐったいじゃんって……。私は、お前が言ったように、指見ただけで『くすぐったい』て認識するんだから、さ」
「私の指を『くすぐったくない』と思ってください。思い込むようにしてください。それだけで、大分変わります」

 美咲は人差し指を、そっと凛のお腹へ近づけていく。
「ふひっ……」
「我慢してください」
 凛は涙目になりながら、美咲の指を凝視した。口元はぷるぷると震え、今にも吹き出さんとしている。
「いきますよ? 3つカウントしながら近づけますので、しっかり身構えてください。くすぐったくありませんから」
「く、……ど、努力は、する」
 美咲は左右の人差し指を、凛のお腹へゆっくりと下ろしてった。
「3、2、――」
「……っ、ひゃっ! ひ、ひひっ、ひひ、……くひひひ」
 美咲が数え終わる前に、凛は笑い始めてしまった。

 美咲は呆れて、両手を宙に戻した。
「小林さん……。もうちょっと、耐えられませんか?」
「……なんか、こういうの、自己暗示みたいなのって苦手なんだって! くすぐったくない、くすぐったくない、って頭ん中で言い聞かしてるうちに、『なにやってんだろ?』とか思い始めちゃうからっ」
「自分を騙すのが苦手な口ですか」
「それそれ!」

 美咲は少し考える仕草をとる。
「それなら、私の指を、小林さんご自身の指だと思うようにしてください。目に見える分、頭の中だけで思い込むよりも、易いはずです」

「自分の、指?」
「そうです。私はこれから、3つのカウント後、小林さんのお腹、おへそからそれぞれ10cm程度離れた左右脇腹を、両手人差し指でそっと触れます。その一連の動作を、よくイメージしてください。一連の動作は、小林さんの意のままです。自分で自分の身体に触れるのと、なんら変わりありません」
「……わかった。やってみる」

 美咲が再び両手を構えると、凛は目を見開いた。
「3、2、――」
 凛はじっと、徐々に近づいてくる美咲の指を凝視ながら奥歯を噛んだ。
「1」
「……っ。あれ? おっ、えっ!? マジか!? これ、マジかよっ!!?」
 美咲の両手人差し指は、確かに凛の脇腹にのっていた。
「どうですか? 『触れられている』という感覚しかないでしょう。では、左右に動かしていきます」
 言うと、美咲はゆっくりと左右の人差し指で凛の脇腹を撫で始めた。
「……っ!! くっ、……と。全然大丈夫じゃんっ! なんだこれ!? ちょっと気持ち悪いけど」

「サイコロジカルの応用です。この程度の刺激ならば、認識だけで『くすぐったい』という感覚が和らげられるということが、わかっていただけましたでしょうか」
 凛が激しく感動するので、美咲は苦笑した。

「『くすぐったい』というより、なんか『気持ち悪い』感じ」
「正しい感覚だと思います。今、小林さんは私の指を敵と認識していませんので防衛反応が起こりません。しかも、私の指に対する『くすぐったい』という観念も薄れているため、小林さんは『笑い』に至らないのです」
「言ってること半分ぐらいしかわっかんえぇけど、すっげぇなぁ……。へっへーっ! これで、図書委員も怖くないぜぇ!」
「…………」

 美咲は、指の先端をぐりっと凛の脇腹に埋めると、そのままほじるように動かし始めた。
「いぃぃっ!!!? きゃはははははははっ!!! なひゃぁぁぁっ!? いきなりっ、あっはっはっははっはっは!?」

 凛は思い切り吹き出すと、美咲の手首を両手で掴んだ。
「ちょぃいきなりっ、いきなり反則ぅぅぅ、きっひっひっひ~~っ!! やっはっはっはっはっは!!」

「と、フィジカルをきちんと学べば、このようにいくら身構えた相手でも、調子に乗った相手でも、笑わせることができます」
「あははははははははっ、わかった!! わかったからぁぁっはっはっはっははっはっはっ!! ピンポイントでやめぇぇぇっへっへっへっへへっへへへっへっ!」


 美咲が手を止めると、凛は自身の脇腹を押さえた。
「ひぃ……あ、あんた、容赦なさすぎ」
「先ほどの感覚、お忘れのないように。擽力1~2程度のくすぐりならば、平然と耐えることができます。もちろん、笑おうと思えば笑えますが」
「……笑おうと思えば?」

「刺激を『くすぐったくない』と思い込む技術があるように、刺激を『くすぐったい』と思い込む技術もあるのです。先ほどの感覚を応用していただければ簡単です。……まぁ、小林さんの場合、もともと『くすぐりに弱い』という自覚があるようなので、この、いわゆる『盛る』技術を、新しい技術として習得する必要ないでしょう。先ほど私の言った『笑おうと思えば』という表現は、『我慢しようとしなければ』という表現に換えていただいて結構です」

「なっげぇよ! よく噛まねぇな。……とりあえずこれで、私は前よりくすぐりに強くなったってことか?」

 美咲は凛の腰から降りると、立ち上がり、スカートの皺を伸ばした。
「そう取っていただいて結構です。後は実践の中で、ご自身に合った『くすぐられ方』を構築していくのが良いと思います」
「実践って……もっとたくさんくすぐられろってこと?」
「そうですね。できれば、私以外の方にもくすぐってもらった方がよいです。委員長が最適でしょう。委員長は大変奥行きのあるくすぐり方をするので、かなり勉強になります」
 美咲は言いながら、ホワイトボードの傍までゆっくりと歩いていった。
「蓮か……。あぁぁっ!!? もしかして、あんたがくすぐり上手いのって、蓮にくすぐられまくってるからか!?」
 凛は上体を起こして、美咲の背中を目で追った。
「それもあるとは思いますが、絶対とは言えません。陽菜さんも私と同程度くすぐられているはずですが、彼女の擽力は一定です」
「そうなのか……」
「小林さんはL組の学級委員長ですので、文化祭の準備と理由をつけて簡単に委員長と行動を共にできます。機会は充分でしょう」
「あ、なるほど、そっかそっか。……立場で言うと私、実はあんたより、くすぐってもらえるチャンスあんのかぁ」

 納得して「ふむ」とアゴに手を当てる凛の元へ、美咲は水性ペンを持って戻ってきた。

●●●

「では、足を出してください」
「え、足? ……まさか」
「おそらく想像通りだと思います」
 美咲は凛の傍らに腰を下ろすと、凛の右足を取り、白いハイソックスをするすると脱がしていった。
「少し汗かいていますね」
「げっ、臭う!?」
「臭う、というよりは、蒸れたことによってソックスのつま先がややしっとりとしています」
「うぐぐ……リアルに言われると、きついな」

 美咲は凛の右足のソックスを脱がし終えると、人差し指を凛の足の小指と薬指の間にグリッとねじ込んだ。
「うひゃぁっぁぁぁっ!!? ちょっ、いきなり、ひぎぃっ!?」
 ギリシャ型の白い素足が、きゅっと歪んだ。

 美咲は凛の足の小指を二本指で掴むと、ぐりぐり動かし始めた。
「はひゃぁっぁっ!!? なはっ、ひひひひ、ちょ、やめぇっ!!」

 凛が膝を立てて、足を引っ込めようとするが、美咲は右手でがっちりと凛の足を掴んで逃がさなかった。
 美咲は左手の親指を、凛の足の小指の付け根にあて、ゴリゴリと引っかくようにくすぐった。
「ぐわぁぁっはっはっははっはっはっ!!! ちょっとぉぉぉっ!!? なんでいきなりっ! あっはっはっは、説明っ!! なんか説明しろよぉぉぉっはっはっはっはっ!! レッスンっ!! レッスンだろぅがぁぁぁっはっはっはっははっはははははっ!!!」

 美咲が手を離すと、凛は胡坐をかくように膝を曲げ、両足を隠した。
「と、このように、小林さんは、突然の刺激にはまだまだ対応できません」
「い、今のっ!! 突然とか関係なく、めっちゃ強かったと思うんだけどっ!?」
「強く感じたのは、おそらく小林さんが、見えない部位のくすぐりに慣れていないからだと思われます」
 言うと、美咲はペンを片手でくるりと回した。
「これから、小林さんの足の裏にペンで文字を書きます。小林さんは、書かれた文字を当ててください」
「…………。ごめん。先言っとくわ。それ、無理だ。絶ぇっ対、笑って答えらんない自信ある」

「先ほどのレッスンを思い出してください。理屈は同じです。予期できれば『くすぐったい』感覚は軽減できます。見える部位か、見えない部位かという違いだけです」

「それが、でかいんじゃんよ! 見ないと予期とかできんじゃん」
「さっき、目で予期していただいた刺激を、今度は、皮膚で予期していただきます」
「……説明頼む」

「サイコロジカルの応用第二段は、主に『くすぐりに強い』と認識している人間を笑わせるための技術の逆行です。小林さんは、さっき私をくすぐったときのことを思い出してください。私は背後からくすぐられたため、小林さんの指の動きを見ることはできませんでした。にもかかわらず、私はクスリとも笑いませんでした。何故だと思いますか?」

「え、……私のくすぐり方が、下手だった、……から?」
「…………」
「……?」

 美咲は冷たい視線を凛に向け、そっとペンを置いた。くるりと身を翻し凛の右足を左腋に抱えるように持つと、いきなり左手で足の指を握って反らし、右手の人差し指で凛のハイアーチをガリガリと引っかき始めた。
「にょぉぉぉっはっはっはっはっはっ!!? なにゃっばっ!! いぃぃっはっはっはっは!? なんでっ!!? なんでぇぇっひっひっひっひっひっひ~~っ!!?」

「きちんと考えて答えてください。『受け』の技術をレッスンしていたのに、どうして急に『責め』のお話になるのですか? そんな唐突な解答を要求するような質問を、私がするとでも思ったのですか?」

「そんにゃっ!!? 考えたっ!! 私だって考えたんだからぁぁぁっはっはっはっはっははっ!!!」

 凛は上半身を激しく捩りながら喚いた。

「考えてアレですか? 私がこれまでお教えした内容から導き出されたのが、あの解答だったんですか?」
 美咲は、暴れる凛の素足の土踏まずを激しく掻き毟った。
「はひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!!! やめっ!! だめぇぇぇっへっへっへへっへへへっ!!」

 凛は左足で美咲の背中を押し付けてもがいた。

「一体いつ私が、小林さんのくすぐりを『下手』だと言いましたか? まったく根拠のない当てずっぽうで、勝手に自分を過小評価して、思考停止しないでください」

「っ!!? あ、~~っははっはっはっははっはっ!! わかったっ!! わかった、ごめんなさいっ!!! いひひひひひひひっ!! いーっはっはっはっは、ちゃんとっ!! ちゃんと考えるからぁぁはははははははは!!!」
凛は激しく笑いながら、マットに爪を立てた。

「なら早く答えてください」
 美咲は指に力を込めた。
「ぐひゃひゃひゃひゃひゃひゃっやめぇぇぇぇっ!!! きっつっ!? あひひひひひひひひひっ!!」

「会話の流れを考えれば、わかるでしょう? 何故私は、小林さんのくすぐりで笑わなかったのでしょうか!」
「いひひひひひっ!!? あぁぁっはっはっはっ!!? あぁっ!!! ……よ、予期っ!! ひひひひひ、皮膚でっ!! 皮膚で予期したからぁぁっはっはっははっ!!?」
「その通りです」
 言うと同時に、美咲は凛を解放した。

「……ぁ、ぁ……ヒィ」
「考えられる頭があるのなら、言われる前に考えてください」
「……おゅ、お許し、を」

 マットの上でぐったりと寝そべり肩で息をする凛を見て、美咲は呆れたように鼻を鳴らした。
「……レッスンを再開します。私のように、いわゆる『くすぐりに強い』と自覚している人間は、無意識的なり意識的なり、くすぐりという行為に対して構えができています。具体的に言うと、他者の指が触れた瞬間、皮膚の触覚を頼りに指の動きを予測します。感覚的には、目で指の動きを追う作業と大して変わりません」

「……なんか、想像つきにくいね」
 突っ伏したまま凛はくぐもった声を出した。

「ゆえに『くすぐりに強い』と自覚している人間を笑わせる場合、未知の刺激を与える、複数の部位を同時にくすぐる、全身をくすぐる、もしくは一箇所を集中してくすぐる、などして、触覚において無理矢理ゲシュタルト崩壊を起こさせるのが効果的です」

「……まぁた難しい用語かよ。ゲシュタルト崩壊って、文字とかわかんなくなるあれ?」

「それは視覚におけるゲシュタルト崩壊の一例ですね。『ゲシュタルト』というのは『全体性』という意味ですね。ここでいう『全体性』は、皮膚で感知したある刺激を学習済みの『くすぐったい』感覚に結びつける識別機能、と単純に考えていただければ結構です」
「……モノ珍しい用語に食いついたのが間違いだった。次いってくれぇ」

「足裏文字当て、というのは、皮膚の識別機能を高めるのに効果的です。足裏の『くすぐったい』感覚を、『文字』という認識の上で『追いかける』ことで、触覚を鍛えることができます。『くすぐったい』を生じさせる物体が今どこに当たっているのか、目ではなく、文字通り肌で感じる練習です」

 凛はゆっくりと身体を起こし、ペタンとアヒル座りをした。
「……つまり、えぇーっと……、くすぐりを、目で見るのと同じように皮膚で感じる練習として、足裏文字当てするってこと、か」
「簡単に言うと、そういうことになります」
「ん、あれ? 敏感になる? てことはさ、……くすぐりに強くなるってよりは、弱くなる練習ってこと?」
「認識によっては、そうとも言えますね。意識のもっていき方次第です」
「あのさ、私『くすぐりに弱い』って自覚あんだけど、やばくない?」
「その認識を自由にコントロールする練習でもあるのです。技術を理解したうえで瞭然と『くすぐりに弱い』のと、何も知らずただ漠然と『くすぐりに弱い』のでは、かなりの差があります。前者は強力な武器になりますが、後者はおもちゃにしかなりません」
「う~ん……、なんとなくわかったような、わかんないような」
「始めましょう。足を出してください」
 美咲が凛の足首を掴んで前方へ引っ張り出す。
「ちょっ、タンマ!」
凛があわてて美咲の手首を掴んだ。
「はい?」
「足くすぐられると、あんたを、蹴りそうだからさ。……し、縛って、くんない?」

●●●

「ロープ用意してんだったら、最初からちゃんと縛ろうぜ」
 マットに尻をつき、両足を伸ばして座った凛はぼやく。左足のソックスも脱がされたため、両素足を美咲に突き出すような形になっている。
「……そんなに縛られるのがお好きなんですか?」
 美咲は、凛の両足首をぎゅっとロープで結びつけながら言う。
「そうじゃなくてっ!! 縛ってないと、あんたが危ないじゃんって話っ! 私、くすぐったがりなんだから、さ……、暴れて顔とか蹴ったら、悪いじゃんょ」
 凛が語尾を濁すと、美咲は目を伏した。
「……お心遣い、ありがとうございます」
 美咲がやけに照れくさそうな態度を示したせいで、凛も恥ずかしくなってしまった。
「なんだよ……っ。あんただって、……私がいつでも逃げられるように、一応っ、気ぃ使ってくれてたんじゃんょ。初めからロープ準備してた癖に……」

 お互いが柄では無いと察したようで、とりあえずにらみ合っておいた。

「はい。では始めます」
 美咲は、機械的な口調で言うと、ペンのキャップを外した。
「あ、言い忘れていましたが、わからなかった場合はコレで消して、書き直しますので」
「はぁっ!?」
 美咲はどこから取り出したのか、デッキブラシを凛に見せつけた。
「今回は先端部分のみ使用します」
「いやいやいやっ!? それで足の裏こするってこと!? それはやばくねぇか?」
「新品なので、衛生上は問題ありません」
「いや、そうじゃなくて……」
「始めます」

 美咲は、黒い水性ペンの先端をキュッと、凛の右足の裏、ちょうど小指の付け根のふくらみ辺りに押し付けた。
「っ……!! くふぅっ!? うひぃぃっ」
 凛の足の指がぎゅっと縮こまった。
「力を抜いてください。書きにくいです」
「いひ、ひひひひっ、ひゃははぁっ!! そ、そんなこと、いひぃ、ってもぉっ!!」

「皺がよっていると、縦棒が歪むのですよ」
 言いながら美咲は、ペン先を細かく動かし、凛の足の裏をこそいだ。
「いぃぃはっははっはははっ!!? それ字ぃぃぃっひっひっひひひ!? 字ぃ書く動きじゃないじゃんぁぁっ」
「皺の間にインクがつかないのです。脱力してください」
 美咲は、凛の足の裏の中央に寄った皺の間に無理矢理ペン先を押し込む。
「ぐがぁぁかかかっ!! わ、かぎひひひひ、わかったから、ストップ!!! 一旦やめっ! 一旦っ! うひひひひひ」
「ちょうど書き終わりました」
「……は」
 美咲が手を止めると、凛はきょとんとした。

「書かれた文字を答えてください」
「い……、全然、わかんなかった」
「次からはもっと足裏に神経を集中させてください」

 美咲は、右手でブラシを構え、左手で凛の足指を持って反らせた。
「ま、待って、それはっ! マジでヤバ――」

 凛の言葉を無視して、美咲はブラシでガシガシと乱暴に、凛の足の裏を磨き始めた。
「ぎゃははははははははっ!!? いぃぃゃっはっはっはっははっははっはははっ!!! だひゃぁぁぁっははっはははっはははっ!! ちょぉぉぉっほっほっほっほ!? 左足ぃぃぃ!? 左足は何にも書いてないじゃんぉぉぉぉっ、ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」

「このように、プラスティック製のブラシは、やや厚い皮膚を持った足の裏をくすぐるのに非常に効果的です」
「いっひっひっひっひっひひっ、プラシュっ!? いーっひひひひひひ!」

 美咲は指の間までしっかりと磨いてやる。
「材質の違いによる刺激の変化について、詳しくはフィジカルのレッスンでお教えしようと思いますので、今回はほんの一例のみ」
「わかったっ!! わかぁぁっはっはっはっははっはっ!!! もぅ消えた!! もう消えたでしょぉぉっはっはっは、長いってぇぇっへっへっへっへ」

 美咲はブラシを置き、ペンに持ち替える。
「同じ文字を書きますので、今度は当ててください」
「……ヒィ……ヒィ、い、……インターバルとか、まったく、無しかよ」

「わかりやすいように、右足に一文字、左足に一文字にします」
 言うと美咲は、凛の右足の裏、ちょうどハイアーチの小指側にペン先をあてた。
「ぐわっッかっぁ!!! か、かかかっ!!?」
「……やけに変な声を出しますね」
「かかっ!? こ、ぐぎっぎぃいぃ、これでもっ!! 我慢してんだよぉぉっ!! くかぁヵ」

「書き終わるまで、力抜いていてくださいね」
「くひゃっ、かぁぁ! こんっ、画数多っ!? ぐぎっぎぎぎ、あひゃぁぁっ!!? きぃぃ、はひゃぁぁはっ!? ちょぃっ、いきなり強くっ、ぶはっ、ぐぎぃ」
 凛は目に涙を浮かべ、歯を食いしばった。
 力まぬように集中しているため、ペン先が動く度に、ぷるぷると足が震えた。

「次は左足です」
「……あ、あんさぁ。『はね』とか『はらい』んとこで、ぎゅっと力込めるのやめてくんないかなぁ……」
「そこまで把握できましたか。上出来です」
 凛の不平にサラリと返した美咲は、凛の左足、ハイアーチの親指側にペン先を当てた。
「くふぅぅぅっ。ちょっ、またっ!? いははっ!? だかっ、『はね』で力込めんなっ!! ぶはっ! ……あれ、終り?」
「以上です」

 美咲はペンを止めると、すぐにブラシを構えた。
「答えてください」
「……最初の奴、画数多くない?」
「不正解です」

 美咲は再びブラシを凛の右足にこすりつけた。
「ぎゃっはっはっはっはっはっ!!? ちょぉぉぉぉっほっほっほほほっ!! まはぁぁ、まだ答えてっ、答えてにゃってぇぇっへっへっへっへ!!」
「では、次回からはすぐに答えるようにしてください。時間稼ぎは不要です」

 足の指を反らし、引っ張り伸ばされた凛の土踏まずを思い切り掃除する美咲。
「ぐひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!! だめぇっぇひひひひひひひひ、いぃぃぃっはっはっはっはっはは~~っ!!」
「画数が多いという所まで把握できたのであれば、もう後一歩です。動き方に注意が向けられるようになれば、完璧です」
「最後のっひっひっひっひっひっ!! 最後のは、『力』っ!? 『力』だろぉぉっほっほっほっほ」

 凛が笑いながら叫ぶと、美咲は「ほぅ」と感嘆の声を上げた。
「二回目で、字面を追えるほどの認識ができるとは、大変素晴らしいことです。この調子で――」
「ひははっ!? わかった!! わかったぁぁっはっはっははっは、『擽力』っ!! あんた書いたの『擽力』だろ! やめれぇぇっへっへっへっへ」
「……っ!」
 美咲は咄嗟に手を止めた。

◆◆◆

「……せ、正解?」
 凛は、肩で息をしながら美咲に問うた。
「何故、わかったのですか?」
「あんたの、ことだから、……今日教えてもらった知識の中から、単語選ぶかと思って」
 凛が顔を赤くしたまま、涙目で美咲を見る。
 美咲は思わず目をそらした。
「そ、そんなの。不正ですよ。皮膚感覚を鍛える訓練で、勝手に予測とか、しないでください」
「……はぁ?」
 凛はごくりと生唾を飲み込むと、再び口を開く。
「無茶言うなよ……。脳の回路まで、コントロールしろってか?」
「…………」
 美咲は凛の顔を見直し、考える仕草を取った。
 凛は、美咲の顔を上目遣いに見ながら言葉を繋いだ。
「思ったんだけど、足の裏に字ぃ書いて当てるって言っても、最終的には、予想で答えることになる気がする。いやっ! もちろん、目に見える感覚に近づけるって目的はわかんだけどさっ! さすがに、頭の中に『あれ、これじゃね?』ってよぎっちゃうからさ。あんたからじゃ、私の答えが、ちゃんと皮膚感覚だけで出されたもんか、予想も混じってんのか判断できないわけだし」
 美咲は大きく頷いた。
「小林さんの意見は、全面的に正しいと思います。今回は、私の方に不備がありました。先ほどの発言と重ね、申し訳ありませんでした」
 美咲は頭を下げた。
「いやいやいやっ!? 頭下げるほどのことじゃないじゃんよっ! やる前は私だって納得したんだし……」

 しばらく腕を組んで考え込んだ美咲は、「あ」と声を出した。
「理解しました。やはり、アプローチの仕方は間違っていませんでした。問題は、認識の対象として『字』を選択したことにあったのです」
 美咲はすばやく立ち上がると、新たに紙とボールペンを準備し、凛の元へ持ってきた。
「これから私は、小林さんの足の裏に一筆描きの図を描きます。小林さんは、それと同じ図をこの紙に描き写してください」
「この、紙に……。あぁっ!! なるほどぉ。あんた、やっぱ、すげぇな。それだと、描かれる側に、予測の余地ねぇもんなぁ」
 凛は、感嘆の声を上げて何度も頷いた。
「ありがとうございます。小林さんのおかげで……」
 美咲は柔和な笑顔を作りかけて、言葉を切った。それを受け、凛はハッとした。
 凛と美咲は互いに顔を合わせて、不服そうな顔を作る。
 美咲はコホンと咳払いをし、まくしたてるように、
「高次の練習ならば、交差や離しを含む図もありですが、今回は初日ですので――」
「はいはいっ! 完全下校まで時間もあんま無いし、とっとと始めようぜ? こっちはもう準備できてんぜぇ?」
 凛はマットに寝そべって、ボールペンを構えた。
「……遮りましたね?」
「だ~か~らぁっ! さっさとやれ!」
 二人はにらみ合ったまま苦笑した。

◆◆◆

「小林さんは、充分素質があると思いますよ」
 下校時刻寸前、二人は互いに背中を向け合って帰り支度を進めていた。
「何それ、褒めてんの?」
「私は客観的に判断したことを言ったまでです。小林さんは、くすぐりという行為にかなり興味をお持ちのようですし、その技術に対する向上心も持っています。なにより、自尊心が高く負けず嫌いな性格は、このように鍛錬を要する技術力の向上には有利です。今後の擽力開発に期待が高まります」
「それ、褒めてないんだ」
「褒めては、いません。ギャンブルには向かない性格ですので、賭け事には絶対に手を出さないでください。必ず『負ける側』になります」
「あー、なんか中和された気がする」

 凛は、美咲の背中に向かって、
「ソレ、あんたも、だろ?」
「はい?」
 美咲はワイシャツ袖のボタンを留めながら、首をやや後ろへ傾けた。
「その、鍛錬に向く性格、プライド高いっての」
「まぁ、そうですね。私は理性で自尊心をある程度コントロールできますが」
「はぁっ!!? バレバレじゃんよ! お前、プライド高すぎっ!!」
「外面ににじみ出ている印象については気にしていません。他人がどう思おうが、知ったことではありませんから。私は、内面における統制の話をしています」
「いやっ……悪い。長くなりそうだし、いいわ……。振っといてなんだけど、時間結構危ないし」
「大きな疑問があるのです」
「……続けんのかよ」

「何故、私は、委員長に落とされてしまったのか?」

「……んぅ!? 話、変わってない!?」
 凛が素っ頓狂な声を出す。美咲は身体ごと凛の方へ向けると、腕を組んだ。
「私は、私自身が委員長に『くすぐり』というおかしな行為によって落とされてしまったことが、疑問でならないのです。本来、ありえないはずのです。強がりや根拠のない自信ではなく、論理的にありえないはずなのです」
「……ありえてんじゃん」
「だから疑問なのです。私は自分なりに、『くすぐり』という行為について研究しました。不完全ながら理論を構築し、体系化しました。擽力をフィジカルとサイコロジカルの二つの観点から考える手法は、現段階での私の到達点です。……それでもですよ!」
 急に美咲が声を張ったため、凛は「おおっ」と声を上げて驚いた。
「『くすぐり』という行為が、何故、私を感化したのか、わからないのです。どれだけ擽力を高めたところで、他人の価値観の根幹を揺り動かす……、いえ、完全に置き換えてしまうほどの力が、『くすぐり』にあるとは思えないのです」
 美咲は、身振り手振りをつけて言葉を繋ぐ。
「紛れも無い事実として、委員長の指を欲していながらです。明確な事実として、まるで初めからそう決まっていたかのように、私は、あの指の必要性を自覚している。自分自身の価値観の根底にある、この前提の存在が、果てしなく疑問なのです」
「……う~ん。それ言われて、私はどう反応すりゃ――」
「そこで私は、一つの可能性にたどり着きました」
「……へいへい、どのような?」

 美咲は動きを止めると、ゆっくりと口を開いた。

「委員長の指には、擽力とは別の、理屈では説明不可能な能力が備わっています」

「…………」
「…………」
「……っ!?」
「…………」
「はぁぁぁぁあぁぁっ!!!? 何それ何それっ!? SF!? ファンタジー!? 意味わかんねぇ意味わかんねぇ意味わかんねぇっ!!」
 凛はアワアワと、頭を掻き毟った。
「落ち着いてください」
「いやいやいやっ!!? あんた、頭の中煮詰まりすぎて、沸いたんじゃねっ!!? レッスン中もところどころ意味わかんないこと言ってたけど、今回は本当に意味わかんないって!!」
 凛は、美咲の正面で両手をおっぴろげ、オーバーリアクションを取った。
「『訳がわからない』の間違いだと思います。意味を把握したから、そんなに動揺しているのでしょう?」
「揚げ足とんなって! え、え!? さっきまで一応筋通ったっぽいこと言ってたのに、いきなりどうしたっ!? ホントに! ホントにどうしたっ!?」
「私は説明できないことを説明できないといっただけですよ? ……信じられないのも無理はありませんが、そういう不思議な能力、ある種魔法のような能力が委員長の指に備わっていると考える方が、無理矢理説明付けるよりも自然です」
「だっけど、さぁ……」
「なら、小林さん? どうして私たちは、委員長のあの十本の指を欲して、張り合ったり、蹴落としあったりしているのですか? 私たちが委員長に何をされましたか? 薬を飲まされたわけでもなく、脳をいじられたわけでもなく、ただくすぐられただけです。くすぐるだけで他人を服従させる能力を、理屈で説明できるのならっ、是非お聞かせ願いたいです」
 美咲はまくし立てるように言い、凛の肩を掴んだ。
「いやいやっ、わ、私は説明なんか、できないけど、さ。ちょ、あんたの方が落ち着けよ」
 美咲はハッとして手を離す。
「……すみません。熱くなりすぎました。委員長は確かに、言葉巧みに私たちを落とそうとしました。が、それは所詮ちょっと格好付けな男子高校生の『ごっこ遊び』の範囲を出ないものです。私が落ちるはずなかったのです……。私が、……この私が、こんなにも委員長の指を欲している。その事実を私は割り切っていても、未だ信じることができないのです。私だけではありません。葵さんだって……、葵さんは今やすっかり、委員長の指を受け入れてしまって、彼女自身疑問にすら思っていないようですが、……彼女が落ちたことこそ、委員長の能力が理屈で説明不可能であることを証明していると思いませんか?」
「……うーん。まぁ、確かに……」
 美咲はふぅと息をついた。
 凛の困ったような表情に気付くと、美咲はばつの悪そうな顔をした。
「すみません。ちょっと話が込み入りました。……その、『くすぐり』という行為に疑問を抱いているからこそ、私の技術は上達したのかもしれませんので、小林さんも自分なりの『くすぐり』を探求していってください。……という趣旨の話のつもりだったのですが」
「脱線したな」
「申し訳ありません。委員長の指の可能性についての話は忘れてください。ただの私の仮説なので」
「いやいやいやっ!? あれ聞いて忘れるのは無理だって! ……いや、まぁ、ぶっちゃけ、すげぇこと考えてんなぁって感心したし」
 凛はこめかみをぽりぽりと掻きながら目をそらした。合わせて、美咲も目線をずらした。

「……その、能力って、さ」
 少し気まずい間を味わった後、凛が神妙な面持ちを作った。
「……はい」
「ホントにっ。そういうのが、あったとしたら、……蓮だけ、かな?」

(完)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(ここから作者コメント)

 再びこんばんは。ertです。
 こちらでも"わんだりあ"のDaria様よりいただいた絵をご紹介いたします。
美咲(ダリア様より頂戴)
 美咲!
 すました表情と、なんか決めたポーズ、凛と対照的なぴっちりと生真面目そうな制服の着こなしが、まさに美咲らしくてステキやん!
 凛絵と並べて見ますと、美咲がどやぁっと頭のよさそうなアホな理屈こねくり回すのを、呆れて聞く凛の関係性が見えてきてインスピレーションが高まりました。
 そんな美咲×凛の関係性を描いた本作の表紙として、イラストは使用させていただきました。