「……ん」
 T高校二年K組の図書委員山本美咲(やまもと みさき)はうっすらと目を開いた。

(何が、起こったのか?)

 美咲は自身が仰向けに寝そべっていることに気付く。どうやら、ベッドの上のようだ。
 起き上がろうとして、ぴくりと眉を寄せた。
 両腕両脚がX字に引き伸ばされ、手首足首をロープで縛り付けられている。
 ギシっとロープのきしむ音がする。
 美咲は目を左右に走らせながら、気を失う前の記憶をたどる。

(確か、陽菜(はるな)さんに誘われ、家にお邪魔して……)

 目の前に二年K組学級委員長佐藤蓮(さとう れん)の姿があった。

(あ……)

 思い出した。

『やあ山本美咲さん。実はここ、僕の家なんだ。ハハッ』
 玄関先で蓮にいきなり霧状のスプレーを顔に吹き付けられ、美咲は気を失ったのだ。
 即効性の催眠スプレーなど、一体どこで手に入れたのかはわからない。
 
 蓮の後ろに、同じくK組学級委員長斉藤陽菜(さいとう――)、K組の伊藤莉子(いとう りこ)が慎ましく並んで立っている。

(陽菜さんも、グルだったわけですか……)

 美咲は、心底残念に思う。
 友人の裏切り行為に対しては何の感情も湧かないが、軽々と誘惑に乗って他人の家に上がりこんだ自身の迂闊さには、大きな憤りを覚えた。
 陽菜や莉子が何の目的で蓮に協力しているのかは理解できない。莉子は浅はかだが、陽菜は学級委員にふさわしく的確な状況判断ができる人間だと、美咲は認識していた。その陽菜が協力するという事は、それなりの代償があるはず。しかし、それを推測するには情報が不足している。
 ならば、自分がこれから何をされるのかを考えるべき。
 ロープの拘束は固く、自力での脱出は不可能と判断される。
 男子が女子を家に監禁、拘束して、やること。それはおそらく、性的な加虐行為だと予測された。
 
「委員長。これはどういうことですか?」

 美咲は思考を十分に巡らせてから、口を開いた。
 自力での脱出が不可能である今、自分に残された選択は覚悟を決めるしかない。次の問題は、この後自分に降りかかるであろう行為の後、どう対応するかである。

「山本美咲さん、僕は君が好きだ」
 蓮はさらりと言った。
「は?」
 思わず美咲は聞き返す。

 ストレートな愛の告白がくることは、美咲の予測になかった。
 褒め殺し、もしくは、下品なサディスト宣言か……。いずれにせよ、普段の学級委員としての佐藤蓮のイメージを崩壊させるものには変わりないと思われたが。
 蓮の言葉を反芻し、美咲はギリと奥歯をかみ締めた。
 独りよがりな愛情表現は、美咲の忌み嫌う行為のひとつであった。
 いや、それ以前に、蓮の言い方や表情がどうも打算的に見え、蓮が本気で恋愛対象として自分を認識しているようには思えなかった。

「委員長。ふざけてるんですか?」
「とんでもない!」
 蓮は言うと、ベッドの上の美咲の腰あたりにまたがり、
「君の心と、僕の心を、しっかりと通わせたい」
 言いながら、ブレザーのボタンを外した。

 蓮の不敵な表情は、美咲をぞっとさせた。

(自分の行為の異常性を認識した上で、自分を欺くために、ゆがんだ愛情、狂気を演じているのか……それとも本気か……?)

 美咲には蓮の目の奥になんらかの自信が垣間見えることが恐ろしかった。

「私をレイプする気ですか?」
 美咲は直接的な表現を選んだ。少し声が上ずった。

(イエスで良いが、絶対に許さない)

 美咲は覚悟を決めていた。
 蓮は答えず、美咲の顔を見ながらボタンを外し続ける。
 美咲を眺める視線はいやらしく舐めるようで、口元がほころんでいる。
「委員長。見損ないました」
 美咲は、蓮の態度を「イエス」と取った。
「私、絶対に泣き寝入りなんて、しませんから」
 蓮の顔をにらみつけ、冷たく宣言した。
 その様子を見た蓮は、やさしく笑みを浮かべ、
「レイプなんてしないよ。僕だって、絶対に、君を泣き寝入りさせたりなんてしない」

 美咲は眉をしかめた。
 蓮の言葉に嘘はない様子。

(本当にこのヒトは、一体何がしたいのか……?)

 蓮がこれから何をしようとしているのかまったくわからないことは、美咲を不安にさせた。

 すると蓮は、美咲のブレザーを観音開きにして、
「今日この瞬間は、君との愛の始まり。忘れられない快楽になるよ!」
 人差し指をいきなり美咲の腋の下へ差し込んできた。

「んぐ……っ!!?」

 予期せぬ刺激に、美咲の体が緊張する。
 体はとっさに腋を閉じようと反応するが、手首のロープが腕の降下を許さなかった。
 蓮の指先がこちょこちょと腋の下を刺激する。

「くっ……い、委員長!? ……何を?」

 美咲は混乱していた。
 なぜくすぐられるのか。まったく意味がわからない。

「あっ……、ぐ……!!」

 美咲は蓮の指から送られる『くすぐったさ』に耐えた。
 他人にくすぐられる経験がろくに無い美咲にとって、笑いたくもないのに笑い出しそうになる独特の感覚は新鮮だった。
 美咲はあまり他人に笑顔を見せることを好まない。
 それを知って、蓮は姑息な手段で、美咲を笑わせようとしてくるのか。
 美咲はぐっと奥歯をかみ締めた。

「おお、耐えるね。でも僕の愛はこんなもんじゃないよ?」 
 蓮は美咲の腋の下をくすぐりながら言った。

「な……、くっ……!」

 これが蓮の愛情表現だとしたら、絶対に受け入れるわけにはいかない。
 笑い声を上げると、蓮の思うつぼ。
 こんな奴に笑顔など見せたくないと思うものの、蓮は間違いなく、美咲が笑い声を上げるまでくすぐり続けるだろう。
 美咲は、自分の置かれた異常な状況に絶望すると同時に、蓮の意向を裏切りたい一心で抵抗を続ける決意をする。

「何が、……愛ですか、……ぐ、こんなことっ!」

 蓮の指から送られてくる『くすぐったさ』がどんどん強くなってきた。
 美咲のアバラや脇腹の上を、十本の指が這う。
「君が好きだよ」
 蓮は囁いた。
 まずい、と美咲は思う。
 蓮の指から送られてくる刺激は、思考を麻痺させるようで、蓮の言葉がうまく解析できない。
 警戒を解いていないにもかかわらず、一瞬蓮の言葉をすんなり受け入れようとしてしまった。

「あっ、……さっき、……聞きました、ぐ……っ」

 美咲は目線を宙へ泳がせた。
 くすぐったいという感覚は、これほどまでにきついものだっただろうか?
 単に笑いの衝動を引き起こすというだけでなく、心の壁をこじあけて、精神の内側へ無理やり侵入してくるような、そんな心地がする。

 そのとき、ぐりっとアバラをえぐられるような感覚。

「うぐっ!!?」

 蓮が鉤詰めのように曲げた人差し指で、美咲のアバラをほじくっている。
 美咲は奥歯をかみ締め「……んく、……」と笑いたい衝動を飲み込んだ。 
 油断をすると、本気で笑い出してしまいそうだ。
 自分の顔が紅潮しているのがわかる。
 くすぐったさに悶える姿を蓮に見られることは、不快だった。
 美咲は蓮に対する明らかな嫌悪感を確認するが、その嫌悪感が、だんだん、ぼんやりと霧がかかるように見えにくくなっていく感覚に困惑する。美咲は必死に『くすぐったさ』を押しのけて、思考を巡らせる。『くすぐったさ』はどこまでも美咲の思考を邪魔してきた。そして、把握した。脳内に蔓延る異物は、この『くすぐったさ』だ。しかし美咲にはこの『くすぐったさ』が、どうして自分の嫌悪感や思考にまで干渉してくるのか理解できなかった。
 くすぐったいという感覚は、相手への好意を示す防衛反応ではなかったか? 相手に敵意があるにも関わらず、どうしてこれほどまでに『くすぐったい』のか。どうしてこんなに、笑いたいのか。

 笑い出してはいけない。

 美咲が強烈な『くすぐったさ』の中、ぎりぎり出した結論はそれだけだった。一旦笑い出してしまうと、自分のすべてが壊れてしまうような気がした。
 
「しぶといねぇ。まだ心を開いてくれないのかい?」
 蓮が、タイミングを見計らったかのように言ってくる。
 美咲の意識が蓮の指先へ向かう。
 サワサワとアバラ骨を撫で回される感覚は、じれったく気持ちが悪い。
 ごりごりと骨をしごかれる感覚は、腹の底から無理やり笑いを引っ張り出そうと迫られているような、強引さを感じる。

「くっ……ふっ……、ん」

 言葉が出ない。
 美咲は、乱暴に侵入を続ける『くすぐったさ』と戦うのに必死だった。
「答えてよ」
 蓮はふぅっと美咲の耳元で息を吐いた。
 
「ふぁっ!?」

 不意打ちだった。
 指から脳へ『くすぐったさ』が一気に流れ込んでくる。
 美咲は「……んぐ」と唇をかみ締めて、
「へ、変態……」
 佐藤蓮という人間に向けて、精一杯の嫌悪感を示した。

 蓮は「好きだ」と直接的な愛情表現を口にしながらくすぐってくる。
 美咲には蓮の口から出る言葉が、空虚に感じられる。

「く、……んぅっ……」

 美咲は『くすぐったさ』に体が熱くなるのを感じた。
 突然、蓮が美咲のお腹辺りのワイシャツのボタンを外した。
「い、委員長……っ! や……っ」
 お腹が露出してつめたい。
 美咲は焦った。

 素肌を……、あの指で……?

「可愛いおへそだね」
 蓮は、人差し指を美咲のおへそへ当てた。

「あぁっ!?」

 美咲は腹部の奥がぞくりと疼くのを感じた。
 人差し指でへそをほじくる感覚がもぞもぞと全身へ伝わる。

「やんっ……ばっ、ひっ、くぅぅぅ!?」

 美咲は嬌声のような悲鳴をあげてしまう自分が情けなかった。
 へその周囲をくるくると指先で円を描くようになぞられ、たまらず下半身を緊張させる美咲。

「ふぅく……っ!? もう、ひ、ひ……、いい加減に……っ!」 

 膝をがくがくと揺らして悶える美咲に、蓮は再び「好きだ」と囁いく。
 美咲は目を引き攣った顔で、蓮をにらんだ。

「……んぅ、ぐっ」

 素肌のお腹をいじり倒され、言葉が出ない。
 襲い掛かる『くすぐったさ』はどんどん増幅していくばかりである。
 美咲はあまりの『くすぐったさ』に目を開けていられなくなり、ぎゅっと目を閉じた。沸き起こりそうになる笑いを必死に腹の奥へ抑え込む。

「美咲、君は強い」

「んぐっ……!? あふぅっ……!!」

 蓮の声とともに突然膝小僧に刺激が生じた。
 美咲の膝小僧の上を蓮の指がこちょこちょと這う。

「んんっ……だ、だめ……っ!」

 直に皮膚から伝わる『くすぐったさ』の攻撃力は凄まじい。
 笑いを必死に押し殺すうちに、美咲は呼吸もきつくなってきた。

「美咲の強さが欲しい」

「……ん、はっ? ……んなっ」 

 蓮の言葉が明確に聞こえてきた。

「僕には君が必要なんだ。だからどうか、僕を受け入れてくれないか?」

 蓮の言葉は、美咲の精神に大きく響いた。
 体は限界。
 いっそのことこの『くすぐったさ』に身を委ねてしまった方が楽になれるかもしれない。
 しかし……

「美咲。好きだ。君の力になりたい」

 笑い出してはいけない。

 美咲は自身の出した結論に確信を持ち始めていた。明らかに、自分の思考回路に変化が生じている。普段の自分ならば、蓮の「受け入れてくれないか」という表現にここまで精神が揺れることはない。一瞬たりとも、「もう笑ってしまっていい」などと、思うはずが無い。確実に、この『くすぐったさ』は、自分の基準を根底から揺るがす異物。ウィルス。癌。
 笑い出してしまったら最後、『くすぐったさ』の侵入に歯止めがきかなくなり、自分の中の価値基準が、すべて書き換えられてしまう。

「んんん~~……」

 美咲は首をぶんぶんと振り、思考を邪魔する『くすぐったさ』を振り払った。

 蓮はくすぐる指を止めると、美咲の必死の抵抗をあざ笑うかのように、美咲の右足の靴下を脱がした。
「美咲。すごく魅力的な足だよ」
「……っ」

 美咲は、しまった、と思った。
 蓮の言葉で、美咲の意識は一瞬で自身の足へ向けられた。
 その瞬間、美咲の右足の裏に強烈な『くすぐったさ』が走る。

「ひゃんっ!!!? ふひぃっ……くひぃぃっ!!」

 たまらず美咲の口から、笑いがこぼれ落ちた。
 右足は親指と人差し指を蓮につかまれ、自由を奪われた。
 土踏まずを爪の先でカリカリとくすぐられ、かかとから足指の付け根までをなで上げるようにくすぐられる。

「ひゃひぃっ!!? ひぃっ! ひひ、だはっ!? だめっ!! ふくぅぅぅひぃっ!?」

 美咲は必死に笑いを抑えようとするが、無理やり抑えつけた先からどんどん笑いがあふれ出てくる。素足を直にくすぐられる感覚は想像以上にきつい。『くすぐったさ』の侵入を防ぐことはもはや不可能、と、美咲が悟った瞬間、

「美咲。君も僕を求めている。一緒に楽しくなろう?」

 蓮の言葉と一緒に、足の裏から侵入した膨大な『くすぐったさ』が全身へ駆け巡った。
 
「くふぅぅぅぅ……っ!!!? ひっ、ひっ……ひひゃっ!! ひひひひゃひゃひゃひゃっ!! ひゃっはっはっは~~~っ!!!」

 美咲は、ついに笑い出してしまった。
 同時に『くすぐったさ』が勢いよく、美咲の内側へ侵入してくる。頭の中はたちまち『くすぐったさ』で満たされ、何も考えることができない。

「ひゃひゃっひゃっひゃ~~~!! くひゃっ、いひひひひひひ~~~」

 美咲は体を仰け反って、狂ったように笑う。
 次から次へと流れ込む『くすぐったさ』にまったく対応できない。

「陽菜、莉子」
 蓮の言葉で動いた陽菜が美咲の脇腹をくすぐってきた。

「はひゃっ、はひゃひゃひゃ!! はるな、さんっ!! なんでっ、ひひひひひひひ~~」

 陽菜は薄ら笑いを見せた。美咲は怪訝に思うが、すぐに『くすぐったさ』に押し流された。
 莉子は美咲の足下で左足の靴下を脱がし、足の裏をひっかくようにくすぐってきた。

「いひひひひひっ~~、ひひひっ~~、ひっひっひっひ」

 美咲は『くすぐったさ』に翻弄され、三人のクラスメイトによってたかってくすぐられているこの異常事態すら、笑いたくなるほどおかしな状況に感じられた。

「可愛いよ。美咲」
 蓮の甘い言葉が、美咲の耳に届く。

「ひゃっはっはっは、そんにゃっ、ひひっ! ふざけひぃぃっ?!! いっひっひっひっひ~~」

 美咲は、抗おうとした。
 とにかく、蓮の言葉を否定したい。その一心。それ以上の思考は不可能だった。

「ぐひっ!! ぐひっ、いぃぃぃひひひひひひひひっ!!! ひひゃひゃひゃ~~」

 足の指が反らされ、足の裏を激しく掻き毟られる感覚。

「美咲の指の間、きつくて気持ち良いね?」

「ふひゃぁぁぁっ!!? ひゃひひひひひひひっ、ひゃめっ!! ひゃめぇぇぇぇぇひひひひひひひひひひ~~っ!!!」

 足の指と指の間に、無理矢理、指がねじ込まれる感覚。

「くふぅぅぅひぃぃぃ~~っひっひっひっひっひっひっひ!!!! もぅっ、ひひゃぁっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!」

 あらゆる感覚が、笑いたくなるほど、おかしく、新鮮に感じられた。
 美咲は自身の口から涎が吹き出し、目からは涙があふれ出ていることに気付く。
 屈辱。
 美咲の中には、佐藤蓮に対する嫌悪感が残っていた。
 その嫌悪感も『くすぐったさ』の前では無力だと、美咲は悟っている。
 自分の中で、すべてが『くすぐったさ』に壊されていく。
 壊されたくない。
 が、壊されるのは時間の問題。
 悟ってしまった自分が憎い。悲しい。……

「はひゃっひゃっひゃ!!? ひぃぃぃ~~っひひひひひ~~っ!!!」

 お腹、足の裏から送り込まれる高圧電流のような激しい『くすぐったさ』によって、たった今生じた怒りや悲しみは瞬く間に『くすぐったさ』の波に飲まれ、見えなくなった。

 あとどのくらい笑い続ければ、すべての書き換えが終わるのか、美咲には計算できない。
 そんな絶望を、あとどのくらい持ち続ければよいのか、美咲にはわからなかった。


(完)


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(ここから作者コメント)

 こんばんは。ertです。
 2012年に小説スレに投稿した作品『調教くすぐり師の指』の第三話山本美咲編の被害者視点バージョンです。
 2014年1月25日にpixivで実施したリクエスト企画にて見送らせていただいた、fe様のシチュ「美咲さんをとことんくすぐって欲しいです。シチュは美咲さんだったらなんでも有りですけども、くすぐり効かないよって顔している美咲さんを徐々にくすぐって降参させたい」を参考に書かせていただきました。
 一度こんな感じの既投稿作品アレンジをやってみたかったので、この機会を利用させていただきました。
 読み返してみると、「降参」まで行ってないですね\(^o^)/ あくまで「参考にさせていただいた」ということで、ご了承ください。