すみれは一年前に失踪した親友の部屋で、一冊のノートを見つけた。
 表紙に『かの子の呪い調査報告』と、親友の字で書かれてある。
 最初のページの日付は、一年前にすみれが親友に『かの子の呪い』について話した日だった。
 インタビュー形式で、すみれの言葉が丁寧に記されていた。
「こんなこと、してたんだ……」
 次のページには、かの子の死亡時の新聞記事が貼り付けられており、彼女の生い立ちが、時系列順に記されている。
 さらにページをめくると、卓也の彼女の死、親衛隊メンバーの失踪や死についての記事もある。
 すみれは、親友の神経質な性格を思い出した。
 読み進めていくと、どうやら『かの子の呪い』で失踪したと思われる事件は、親衛隊メンバーだけではなかったらしい。
 卓也の彼女の妹や友人、親衛隊メンバーのいとこなど、一見卓也とまったく関係なさそうな人間まで、含まれている。
 すみれは、自分の推測に確信を持って、ページをめくり続けた。
(あの子なら、絶対どこかに書き残してあるはず……)
 ふと、ページをめくる手が止まった。
 ページが破れていた。

 もしこれを読んでいるとき、私がこの世にいないのならば、

 ページの冒頭にそれだけあって破れている。
 かなりの枚数がごっそりと抜けている。
「そ、そんな……」
 すみれは絶望に顔をゆがませた。
 親友の書き残しから察するに、彼女は明らかに『かの子の呪い』の核心部分に触れようとしている。
(それがこの有り様では……)
 すみれは最後に一枚だけ残ったページを見て、安堵した。

 呪われているのは後背卓也ではない。

 後背卓也へ向けられる好意そのものだ。

 第三者がその好意に触れたとき、死ぬ。

 好意を抱いた本人が客観的に自身の好意を認識したときも、死ぬ。


 すみれは、親友の最後の書き置きを見て、パタンとノートを閉じた。
 親友が自分と同じ結論に達していた。
 すると『かの子の呪い』を回避する策はいくらでも立てられる。

(……え?)

 では、なぜ、回避策を知りながら親友は失踪したのか?

 そんな疑問が頭をよぎった瞬間、すみれの眼前の光景が一変した。

「ここ……」

 すみれは、卒業した中学校の教室にいた。
 一年間過ごした教室。
 かの子がいて、卓也がいた教室。その一画に、すみれの机もあった。
 窓から夕日が差し込んでいる。
 教室を見回して、夕日に望む一人の少女を発見した。
「かの子」
 セミロングの髪の毛はぼさぼさ。半袖のポロシャツ、サマーベストにプリーツスカート。足元は上履きも靴下も履いていない。
 ゆっくりと少女が振り返った。
 垂れ目で団子っ鼻。視線はいつも自信なさそうに左右に泳がせて、つらそうに眉を寄せ、人付き合いが苦手なのは明らかなのに、それでも他人に気を遣い、ぎこちなく微笑む仕草。
 中学時代のままの、反町かの子だった。
「かの子!」
 すみれはかの子に駆け寄った。
 かの子は目を見開いた。
「ごめん! かの子……、私、かの子のこと、助けてあげられなくて」
 すみれは、クラスで卓也の親衛隊メンバーに罵られているところを見て見ぬふりをしてしまった。そのときはまだかの子の病気のことを知らなかったが、それでもかの子への言葉の暴力はひどかった。その場で動けなかった自分が悔しかった。だから、後日他クラスにいた卓也の彼女に相談したのだ。すると彼女はすぐに親衛隊にかの子への嫌がらせをやめるよう言いに行った。彼女は、自分も一度かの子と話をしてみると言っていた。彼女の行動力に、すみれは余計に自分が情けなくなった。そのうちにかの子が殺され、彼女も死んでしまったために、罪悪感を抱き続けていたのだ。
 かの子はきょとんとした表情で首をかしげた。
「かの子のこと、ちゃんと知ってれば。ちゃんと理解してあげてれば、私……、私……」
 すみれは涙を流し、かの子を抱きしめた。人間らしいぬくもりがあった。
 かの子は優しく微笑み、すみれの背中に手を乗せた。
 二人はゆっくりと対峙する。
 すみれはかの子の心配そうな表情を見て、
「許して……くれるの……?」
 かの子は指先ですみれの涙をぬぐい、微笑んだ。
「ありがとう」
 すみれはぐずっと鼻を鳴らして、微笑み返す。
 かの子の髪の毛をそっとなでると、かの子は照れくさそうに笑った。
 すみれは、かの子と心が通じ合った気がした。
 
 だから、勘違いしてしまったのだ。

 口が滑ったのだ。

「かの子、あいつらに、何されたの?」

 うつむき気味だったかの子の動きが止まった。

『知りたいか?』

 そう言われた気がした。
 顔を上げたかの子には顔がなかった。

 突然目の前が真っ白になったすみれは、気づくと教室の床に大の字に寝そべっていた。
 着ていた服が中学時代の制服になっていた。足元は白いクルーソックスと上履きを履いている。
 両腕、両脚にそれぞれ一人ずつ、かの子の姿をした顔のない少女が座っており、まったく身動きが取れない。
『あんたさ、卓也君のストーカー、やめてくれない?』
 立ってこちらを見下ろしていた顔のない少女が言った。
 その声はかの子ではなかった。聞き覚えがある。中学時代、クラスで嫌と言うほどかの子を罵った、親衛隊のリーダーの女子生徒の声だ。
 すみれは何か言おうとするが、言葉が出ない。
 自分の意思とは別に、首が激しく左右に振られた。
 顎や首に、ぼさぼさの髪の毛先が当たった。
『そういう態度取ってさ。いい加減にしなよ。とぼけて天然ぶってればみんなが優しくしてくれるって? 卓也君の優しさにつけこんで卑怯なんだよお前』
(……そうか。これはかの子の記憶なんだ)
 すみれは、目の前の少女達から次々と罵詈雑言を並べ立てられた。
 それでもすみれは、黙って首を振ることしか出来なかった。
(かの子……なんで何も言い返さないの。言われっぱなしで……つらいだけなのに……)
 今となってはかの子の病気のことも知っている。だから余計に、かの子への同情の念が強かった。
 すみれは人格を否定するような言葉を立て続けに浴びせられ、涙が出てきた。
『きゃはは、泣いてるよこいつ!』
『あんまり泣かせちゃだめだよ。言われたじゃん本妻に』
『卓也君とこいつの問題だから手を出すなって? 馬鹿じゃんあの女。自分の彼氏が取られそうなのに悠長すぎ』
『卓也君の彼女だからって、調子乗ってるよね。最近』
 本妻というのは、卓也の彼女のことだろう。
 彼女のことまで、こんなに悪く言っていたなんて。
 すみれは、過去のことだと知りながらも親衛隊達に憤りを覚えた。
 しかし、怒りが一瞬で消え、心が悲しみに埋め尽くされた。
 すみれの目からは止めどなく涙があふれ出ていた。
 かの子は怒りという感情に疎かったのかもしれない。
『いつまでも泣いてんなよ!』
 突然少女が怒鳴った。
 すみれはびくっと肩を揺らした。
『涙で同情誘うなんて最悪。泣いてれば誰か助けてくれるって、甘すぎるよ』
『泣き虫のストーカーにはお仕置きが必要だよね』
『そう。あんた、何回注意してもストーカーやめないから、もう体で教えてやることにしたから』
 すみれは顔を小刻みに震わせることしかできない。
 息が上がっている。心臓がバクバクと高鳴っている。かの子の感じた恐怖は計り知れなかった。
『安心しな。殴ったり蹴ったりしたらアザが残って、またあの女がうるさいから……』
 リーダーらしい少女は言いながら、すみれの腰あたりに馬乗りになった。
『こうしてやる』
 少女は両手を、すみれの両腋の下へ食い込ませた。
「んひゃぁあぁっ!!!?」
 すみれは甲高い声を上げた。
 とてつもなくくすぐったかった。その感覚が自分のものなのか、かの子のものなのか、わからなかった。
『うはっ、反応おもしろ!』
 言いながら少女は、指一本で腋の下をなぞり始めた。
「はっ、はひぃいっ!!!? ひ、ひひっ、ふひひっ!!!! かあぁ、はぁっ!!!」
 すみれの体は痙攣するようにびくびくと震えた。
『え、こいつめっちゃくすぐり弱いじゃん』
『指一本でこれって、やばくない?』
『お仕置きのやりがいあるじゃん』
 腕や脚に乗った少女が、口々にそんなことを言う。
 馬乗りになった少女は、くすぐる指を二本にして、こちょこちょと軽く動かし始める。
「ふゅひひひひひっ!!? うひっ、ひははひゃひゃ、あひゃっんぅぅひひひっひ」
 すみれは歯をかみしめた。
 と、同時にぞっとする。
 まだ一人しかくすぐっていない。しかも指二本で。
 噂では、六人にくすぐられて、笑い発作を起こして……。
『感度もわかったところで、本番いっちゃう?』
 馬乗りになった少女が擽る指をとめて言った。
 他の五人の少女も賛同した。
 脚に乗った少女二人に、両足から上履きが脱がされた。
 すみれは制止を求めたかった。
 しかし、すみれは、目に涙を浮かべ、ふるふると首を左右に振ることしか出来なかった。
『ストーカーに制裁を!』
 一斉に六人の指が、すみれの、腋、お腹、内股、足の裏へ襲いかかった。
「ぷひゃははははははははははっ!!!!? はひぃぃはははっはは、ひゃぁぁあっはっはっはっはっはっはっは~~!!!!」
 我慢できるくすぐったさではなかった。
 すみれは「笑え」という脳の命令通りに、ひたすら大声で笑った。
『なんだこいつ。笑ったら結構可愛いじゃん』
『鼻水垂れてるのにぃ?』
『涎きったねぇ!』
 少女達の嘲笑が聞こえる。
 しかし、全身を這い回る指のくすぐったさでそれどころではない。
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!? ひぃぃあぁあっははっはっはっはっは、ひぃぃ~~っひゃひゃはははっはははっはは!!!」

 くすぐられた時間はせいぜい一分か二分程度だったろう。
 それでも、すみれは全身汗びっしょりで、体中が火照って熱くなっていた。
『弱点を探して遊ぼう~~!』
 全身のくすぐりが中断されると、今度は局部的にくすぐられる弱点探しが始まった。

「いひゃひゃひゃひゃっ!!! あぁぁあ~~ひゃはっはっはっはっひひぃひはっは!!!」
 腋の下を腕に乗った二人にくすぐられると、すみれは激しく首を振って笑った。
 半袖のポロシャツの袖口から指をねじ込まれ、素肌の腋を直にほじられると、一層甲高い悲鳴を上げた。
「きゃぁああああははっはっはっははっは!!! にゃあああああひゃはははっははっははは!!」

 アバラは、骨をしごくようにごりごりとくすぐられるのがきつかった。
「だぁぁあはっはっはっはっはっはは!!! あひゃあぁぁ~~はぁあああひひひひひ」

 脇腹は、かぎ爪のように引っかけた人差し指でぐりぐりツボ責めされるのが耐えられなかった。
「うひひひひっひひひひひいひひ!!!! ぎひひひひひひひひひひひっ、いぃぃ~~ひひひっひひひひひひひひひ」

 べろんとシャツの裾をまくられ、へそ周りを指先でくすぐられるのは、じれったくてたまらなかった。
「あははっ、はひぃぃっ……ひぃ~~……ふひっひっひひ、あひぃひぃ」

 内股は指先ではじくようにくすぐられたり、親指を脚の付け根にぐりっと押し込まれぐにぐにと揉まれると、下腹部の辺りからせり上がってくるように笑いが漏れた。
「んぅぅぅぅふふふふふぅぅぅひゃひゃひゃひゃひゃ!!!! あぁぁあひゃはひはひあひひっはははっはははっははは!!!」

 どの部位も少女達を満足させたようだ。
 最後は足の裏だった。
『靴下どうする?』
『とりあえずそのままでいいんじゃない?』
 すみれ自身、足の裏がそれほど敏感だという自覚はなかった。
 しかし、感覚はかの子のもの。
 少女の人差し指が白いソックス越しにすみれの土踏まずに接触した瞬間、全身に電流を流されたような感覚を覚えた。
「きひゃあぁああああああ!!?」
『うわ、すっげぇ声』
『人差し指でなぞっただけなのに』
『足の裏弱いんだぁ~~、へぇ』
 足元からそんな声が聞こえた直後、足の裏は数本の指でがりがりとひっかかれた。
「うわぁぁあひゃひひひひゃはははっ!!!? いぎゃぁぁはははははっはははんぅぅぅうにゃぁあひはひはひひゃひゃひゃひゃひゃ!!!! だぁぁあっひゃっひゃっひゃっひゃぁぁ!!!」

 足の裏が弱点とバレてからは、とにかく脚から足の裏にかけて集中的にくすぐられた。
 靴下を脱がされ、足を直にくすぐられ、すみれは発狂しそうだった。
「あぎゃぁああははっはははははっはあは、ひやあぁあぁあっはっはっはっはっはだひゃぁぁぁぁ!!!」
 大きく広げられた脚を四人がかりでくすぐられたり、汗ばんだ足の裏をなめられたり、足の裏にマジックで文字を書かれたりと、少女達の足責めは多岐に渡った。
 すみれは息をつく間も与えられず、ただただ半狂乱に笑い続けた。

「ぐひゃひゃひゃひゃひゃっ!!? いぃぃぃぃ~~ひひいっぎひひひひいひうにゃぁあぁぁひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!」
 再び大の字に押さえつけられたすみれは、全身を少女達にくすぐられていた。
「あがぁあぁぁぁひゃぁあぁっぁあああああ!!!? ……うひひひひっひひひひひひ!!!」
 すみれは失禁し、意識を失いかけるが、少女達のとまらないくすぐりに再び笑い出した。
『こいつ何回漏らすんだよ』
『中学生にもなってねぇ』
 という嘲笑の声に混じって、
『……ねえ、そろそろやばくない?』
『なんか声、おかしくなってきてるし……』
 と、心配するような声も聞こえてくる。
『何、あんたら。うちら裏切るの? じゃああんたらがこいつみたいにくすぐられる?』
 その言葉に、反論を示す声はなかった。

「ああぁぁああひゃひゃひゃひゃひゃ!!! があぁあはがあぁあはははっははっははっは!!!!」
 すみれは体の限界を感じていた。
 のどはカラカラで、肺は締め付けられるように苦しい。今にも呼吸が止まってしまいそうだ。

 しかし、

 いったいいつまで笑い続ければ、死んで楽になれるのだろう?

 まだ、死ぬほどではない気がした。
 こんなに苦しいのに、死ねない気がした。
 それがたまらなく恐ろしかった。

 かの子……。

 死ぬまで笑わされるって、どんな気持ち?

 ねぇ、かの子……。

 これで私は、あなたの理解者になれるの? 

 すみれが薄れゆく意識の中で巡らせた思考は、すみれ自身の笑い声でかき消された。
 
 
(完) 


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(ここから作者コメント)

 こんばんは。ertです。
 晒そう企画の『ストーカー』を原作に、ホラー要素を含めてリメイクしました。
 久々の長編、ご読了ありがとうございました!
 すみれの親友のノートの破れたページはこのブログのどこかに落ちています。

【呪擽】
激しく擽られて死んだモノの呪い。それは、死んだモノが生前に執着していたモノに蓄積され、(笑)となる。その呪いに触れたモノは擽られ、新たな笑いが生まれる。

 ↑これ、一番最初にネタで書いてみたものの、小説中に入れる場所がなくて困りました;;